新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

近代医療にひそむ「呪い」

 タヒチ島に新しいエアライン(タヒチ・ヌイ)が就航して、格安ツアーが登場した。これまで30万円台と言われていた「魅惑のタヒチリゾート1週間」が、なんと15万円台に!これは行かねばなるまい、これを逃したら一生タヒチには行かないだろうと欲をかいて、タヒチまで行って来た。

 が、今回はタヒチの話ではない。

 帰りの飛行機の中で急病人が出た。離陸して5時間も経過した頃、スチュワーデスが「お客さまのなかで、お医者様はいらっしゃいませんか?」と、薄暗い機内を探して歩いていた。こういう時、私はなぜだかとてもざわざわした気持ちになる。

 自分が何の役にも立てないことへの苛立ちを感じるのだ。せめて具合の悪い人の手を握って励ましてあげることはできないか、などと思う。もちろんかえって迷惑だろうけど。でも、そう思ってしまう。

 それで、こういう時、いつも無謀にも思うのだ。次に生まれ変わったら医者になろうって。

 私の医者に対するイメージは、かのごとく「正義の味方」である。それは今も変わってはいない。ただ、今年「母の死」を経験してから、医師という職業の難しさを痛感するようになった。

 1997年の9月。母親が突然倒れ、救急病院の脳神経外科に運び込まれた。脳出血だった。私が駆けつけた時、母親は集中治療室に入ってたくさんの電気コードとつながれていた。私はガラス越しに母親を見た。ぴっぴっという計器の音だけが深夜の病院にいくつも響いていた。

 意識不明になった母を見て「ああ、これが死ぬ人間の顔なのか」と思った。なんともだらしなく間のびしていて、人間っていうよりも『壊れ物』のようだった。

 もっとも、本当に母が死んだ時の顔は『壊れ物』ではなかった。母の死顔は荘厳だった。何人かの死顔というのを見てきたけど、よくよく思い返して見ると死顔にはなぜか「意志」を感じる。死というのは、本当に単なる「終わり」ではないのかもしれない。昏睡状態の母と、死んだ母の顔を比べたらあきらかに死顔のほうが美しく意志をもっていた。

 

●他者とのコミュニケーションの方法から学び直した方がいい

 母が倒れて意識不明になったとき、私は医師に呼ばれた。その脳神経外科医は若そうに見えた。たぶん34、5歳くらいではないだろうか。なぜか足を骨折していて、松葉杖をついている。色が白くてぽっちゃりしていて、目だけがくりくりと絶えまなく動き、なんだか子供っぽく感じた。顎のあたりにひよひよした剃り残しの髭が2、3本あって少し不潔な印象を与えた。

 その医師は私にこう言った。「お宅のお母さんは、脳のなかでも最も重要な脳幹の一部である橋という部分に出血しています。この部分は外科的な処置ができない脳の奥まった部分です。出血の場所や出血の具合から考えて、絶望的です。仮に出血が止まったとしても、意識が戻ることはほとんどないでしょう。最悪の場所に出血しています」

 母とはゆうべ電話でしゃべったばかりだった。その時は元気だったのに。

 「今日明日が峠でしょう。もっても数日だと思います。ご親戚の方に連絡してください。そして、これを確認しておきたいのですが、もし脳死状態になったときに延命措置を希望されますか?」

 「どういうことでしょうか?」私がいぶかしげな顔をすると、医師は脳死についての説明を始めた。そして、母は脳死する可能性が非常に大きいと言った。

 「脳死状態になって、延命すると、生きながら死んだ状態になります。体温もあるし、息もしているのでご家族にはあたかも生きているように見えますが、それはただ心臓を無理やり動かしているのに過ぎません。そうすることによってお母さんの肉体は非常に傷つき、ダメージを受けていきます。多くのご家族は延命を希望されますが、最終的には患者さんの体がすさんでいくのを見て、延命を止めてくれと言う場合がほとんどです」

 「でも、その延命措置をするかしないかは、今、この段階で決めないといけないことなのですか?私は今やっと車を飛ばしてここに来て、そして倒れた母を見て、いきなり死ぬと言われても、気持ちが追いつきません」

 「なるべくなら、今、決断してください。というのも、お母さんはもう今夜にでも危ない状況なのです。ご家族はいざ脳死という場面になるとみなさん動転して、そして延命したいと言われます。しかし、その決断を必ず後になって後悔されます。ですから、冷静な時にお聞きしているのです。できれば今、決断してください」

 私は、この先生の「最悪」とか「絶望的」という言葉に、不快感を感じずにはいられなかった。ましてや、冷静な時に延命措置をしないことを決めろ、と半ば脅迫的に迫ってくるこの医師に対して、とても大きな憎しみと、軽蔑を感じた。こいつはどうかしてる。あんたはまず他者とのコミュニケーションの方法から学び直した方がいいぞ、と思った。

 「嫌です。私は今、そんなことを決めたくありません。その場になって、本当に母が死ぬ場面になってみなければ、自分がどう思うかわからない。こんな大切なことを今すぐ決めることはできません」

 「その場になったら動転して、ちゃんと判断ができなくなるのが普通なんです」

 「私はジャーナリストです。どんな場合でも冷静さは失いません」

 自分でもイヤらしいな、と思った。ジャーナリストという言葉を、相手を屈服させるために使ってしまった。でも、私がそう言うと、いきなり医師は黙ったのだ。

 その医師は、いつもこういうしゃべり方をした。必ず何かを言う時に「普通の生活に戻るようなことはほぼありえません」「辛いことかもしれませんが、仮に助かったとしても植物状態でしょう」と、否定的なことばかり言う。もちろんヌカ喜びさせて欲しいと思っているわけではないのだけれど、このような言い方というのが一般的なのだろうか。めったに病院に行かない私には不思議に感じられた。

 

●「治癒」から遠い近代医学の言葉

 近代医学っていうのは、因果関係を明らかにしなければいけないらしい。脳幹がやられると絶望的。出血が止まらないから数日の命。でも、物事に100%ということはないはずであり、必ず別のいくつかの可能性が残っているんじゃないだろうか。

 「絶望的」というのは「死ぬぞ」という呪いの言葉だと思う。近代医学の言葉というのは、私から見ると患者への呪いの言葉で、およそ「治癒」というものから遠いように感じられた。

 「本当に絶望的なのなら、今すぐ個室に移して下さい。そして、ゆっくりとお別れをさせてください」

 私がそう言うと先生はちょっとむっとしたが、母は翌日には個室に移された。連日、母の兄弟姉妹たちがやって来て、母を呼び続けた。母はそのままの状態で3日が過ぎ、4日目になぜか目を開けた。もちろん何も見えてはいないようだった。

 「単なる生理反応です。見えてはいません」大喜びする親類を尻目に、先生はライトで母の目をのぞいてそう言った。

 母の目が開く、それは母の意識が戻ることを祈り続ける私たちには「生理反応」以上の意味があった。

 それは、迷信に近いことかもしれない。しかし、意識のない母の存在は、母自身よりも母を取り囲む人々にとってより大きな意味を持ちはじめていたのだ。母の兄弟姉妹はみな、母を通して自分の生と死を見つめていた。みな老人なのだ。

 もっとも、母の兄弟姉妹も、そして母の夫である私の父も、近代医学の呪いなんか「へ」とも思わない前近代な人々であったので、ひたすら来る日の来る日も母のベッドの脇で母をなでまわし、名前を呼び続け、揺さぶり続け、手を握り、髪をとかし、話しかけ、一日も休まず病院に通い続け、医師を見ると「お願いします、お願いします」と米つきバッタのように頭を下げ、そしてとうとう母の意識を回復させてしまったのだ。

 父が電話で「母さんが最近いやいやをする」と言った時は、とうとう父もボケたかと思ったが、私が病院に駆けつけてみると、母はすさまじいまでに回復していた。

 いろいろと脳に関する文献を読むと、脳というのは死んだ細胞は再生しないけど、別の細胞が伸びてきて機能を回復するらしいではないか。とすれば、傍目に見ると過剰なまでの母に対する刺激が、無理やりにでも母の意識を回復させたのじゃないかなあと思う。

 

●「あなたにお母さんの様態の何がわかるって言うんですか」

 母の意識が戻ると、先生は一転して「車椅子に乗れるようになるまでがんばりましょう」と言い出した。「刺激を与えることが脳には一番いいんです。とにかく家族の愛情と刺激です」

 母は奇蹟的とも思える回復を示し、そして絶対に意識が戻らないほど破壊されている、と言われた脳で意識を取り戻し、しゃべれないものの、私や父のことを認識するまでになった。とはいえ、それは植物人間に一日数時間だけ意識が戻る、という程度の状態だったのだが。

 母は呼吸中枢にダメージを負っており、人工呼吸器で呼吸を調整していた。状態が安定したところを見計らって、先生が人工呼吸器をはずした。それから1週間後に母は死んだ。

 母の死はまったく突然に訪れた。誰もが、これから回復するであろうと信じていた矢先の死だった。それも、深夜、たったの15分ほどの空白の時間に死んだ。死は謎に包まれていた。死因もよくわからない。

 母の死の知らせを受けて父が病院に駆けつけた時には、母の手はもう冷たくなっていたという。母の呼吸停止から、2時間が経過してから自宅に死の知らせが来た。

 私は再び先生に言った。「なぜ、2時間も自宅への連絡が遅れたんですか?父が到着した時、母の体は完全に冷えていたそうじゃないですか」

 すると先生は言った。「必死で延命措置をしていたものですから、つい連絡が遅れてしまったのです」先生はその晩の当直ではない。当直は別の医師だった。彼はただ代弁しているに過ぎない。

 本当の理由は誰にもわからなかった。担当の看護婦さんに聞いても、「見回りから戻って来て体位を変えようとしたら、もう呼吸が止まっていたんです」と泣きながら言う。その間わずか15分、そして2時間の延命措置をして、もうダメだとわかってから自宅に連絡が来たことになる。

 私は母の様態について詳しく知りたかった。母がそんなに永くは生きないであろうことは様子を見ていればわかる。もう年なのだ。リハビリを耐えられる体力があるようには思えない。もともと肝臓を患っていた。しかし、なぜ連絡が2時間遅れたのかは知りたかった。父は30分あれば病院に到着できるのだ。2時間の延命措置とはなんだっだのだろう。

 その理由について私が食い下がると、先生はこう言った。

 「あなたね、あなたにお母さん様態の何がわかるって言うんですか。いったいあなたはお母さんが入院してから、何回様子を見に来られました?」

 病院は茨城にあり、神奈川のはずれに住んでいる私は、数えるほどしか病院には通っていなかった。問題が違うとはわかっていても、この言葉にとてもショックを受け、言葉がつまった。

 父が「もういい。どうせ家内は生き返らない。先生方は力を尽くしてくれたと思う」と泣くので、私はそれ以上、医師に問いただすことができなかった。

 さらに母の死顔を見た時に、「これでいいんだな」と思えた。その顔はこのうえなく安らかで美しかったのだ。

 

●医療の現場には新しい言葉が必要だ

 物事にはいくつもの意味があると思う。母が死んだのは脳幹に出血したからだ、というのはその意味のひとつにすぎない。

 寿命だった。天中殺だった。仏滅だった。いくらでも意味はある。事実はひとつだけれど、真実は無数にあるんだと思う。人はそのなかから、自分が生きるために必要な真実を選びとることができる。

 そして、人を苦しめる真実を、昔の人は「呪い」と呼んだのだと思う。

 私は、医師が私に提示する真実を受け入れ難かった。それらはまるで「呪い」のようだった。その言葉で母の魂を送ることは出来なかった。もちろん、そんなことは医者や看護婦の専門外だと言われればそれまでだけど。

 病院が教会ではないのは知っている。医師は神父ではない。でも、治癒という概念のなかに「祈り」や「希望」や「奇蹟」は存在しないものだろうか? それらを患者の家族から締め出していいものだろうか。

 「近代医療」。それが医師にとっては絶対の真実であったとしても、私はそれを受け入れて母の死に納得することはできなかった。

 叔母はお地蔵様に祈った。叔父は神社に願をかけた。父はウイスキーの箱に20万円を入れて先生に渡したと言う。それぞれの真実を、人は生きるらしい。

 それでも老人はそれぞれの真実をもっている。現代人の私はただ、医師が提示する真実を受け入れたかったが、だとしたら自分が何を信じて死に臨む母と向き合ったらいいのか、よくわからないままに母の死を迎えた。

 史上最大の呪い、それが近代医療のなかに存在している。「生存確率は10%」「〜になると絶望的」「〜だから回復の見込みなし」・・・

 人間の生命は、科学的因果関係では説明しきれない。あたかも、母は医師の呪いを退けて、自らの意思で死を選びとったように思える。もちろん、それも私の迷信に過ぎない。でも、母が残してくれたこの迷信なら、私は信じて生きることができる。

 人がどのように死ぬか。それは、死んでいく人間はもちろんだが、残された人間にも大きな意味をもつ。

 日本は「言霊(ことだま)」の国と言われる。言葉のもつ力がとても大きい。医療の現場には、新しい言葉が必要だと思った。人を呪わない言葉。残された人を生かす言葉。そんな言葉は、求めれば必ず存在できると思う。切実に求めさえすれば必ず。まず私自身が、そういう言葉を探していこうと思った。

近代医療にひそむ「呪い」 - MSN ジャーナル