新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

弁当の時間が一番楽しかった

元スレ:お母ん!弁当のおかずなんとかならんか?(完全版は行方不明)
『お母ん!弁当のおかずなんとかならんか?』いう、最初は弁当のおかずに愚痴をたれるスレッドだったのだが、途中から思い出の弁当話へと変貌。母のありがたさと、料理の苦手なおかんのスゴサがにじみ出る名スレ。

思い出のお弁当箱

実家で食器を物色してたら、なんと保育園の時に使ってた小さなお弁当箱を、家の母は大事に取ってあったのを見つけた。プラスチックももう黄ばんで絵も剥げかけてて、もう30数年も前の物なのに。ちょっとグッと来た。

おかず一品だけの母の弁当

母にお弁当を作ってもらったのは高校3年間だった。 友人には、学食でお昼を食べる子も多くてうらやましいと思っていた。「お弁当いらないからお金ちょうだい 学食で食べるから」 っていう日もあった。
ある日、仕事に行く前の母のお弁当を見た。 おかずが卵焼きであとは白ごはんだけだった。 おかずはこれだけ?」と聞くと「あんた達(姉妹3人)のは色々入れるけどお母さん、自分のお弁当はどうでもいいもん」と答えた。何だかとてもせつなくなってしまった。私たちのために作ってくれてるんだなと感じた。
卒業して1人暮らしを始めて、自分でお弁当を作るようになった。 めんどくさい…と感じることがよくある。
たまに帰省したときも母は仕事に行く事が多い。私たちのお弁当を作らなくなった母のお弁当は、相変わらずおかず一品だ。
今度は私が母にお弁当を作ってあげる番だと思った。お母さん、喜んでくれるかな…

年に一度の罪滅ぼし弁当

普段の食事は買って来た惣菜が多くて、お世辞にも誉められたもんじゃないうちの母の料理だが、保育園で年に1度のお弁当の日(運動会の日)には、前の日からいろいろ準備してくれて、子供心にすごく嬉しかった。おにぎりをパンダやウサギの形に抜いて、海苔やでんぶで色付けしてくれて。
友達もみんなすごい弁当持って来てたから、あれは働く母たちの年に一度の罪滅ぼし弁当だったのかもしれない。

最後の弁当

この間お袋が一時退院してきた。 膵臓ガンで、あと半年持つか持たないかって事らしい。本人には告知してない。多分、これが最後の帰宅になるかもしれないとの事。
いつもは離れた街で独り暮らししていた俺は、お袋の一時帰宅に合わせて実家に戻っていた。でも月曜日の朝、仕事があるので朝早く車で出勤することにした。
そしたら朝早いのに、お袋ちゃんと起きてて、おにぎりを握って持たせてくれた。そして、俺の車が見えなくなるまで見送ってくれた。
多分、これがお袋の作る最後の弁当かと思い、泣きながら食べた。
次の日、お袋は病院に帰っていった。 奇跡でも何でも良いから、直って欲しい。

お弁当日記

うちのママも去年死んじゃったけど、今年遺品を整理してたらファイルが何冊も出てきて、中を見たら泣いちゃった。
アタシが高校生の時の毎日のお弁当を写真に撮ったものだったの。3年間お弁当作った日のは日付け入りでぜーんぶ写真に撮ってあった。横に短いコメントが時々書いてあって、「○子、試験がんばれ!」とか、「今日は残り物ばかり・・ごめんね」とか。全然知らなかった… ママの気持ちも考えずおかずに文句ばっかり言ってた。
いまはアタシの宝物。子供が大きくなったら参考にしてお弁当作るんだ。

弁当の時間が一番楽しかった

親が店やってて弁当を作ってもらえないヤツがクラスにいた。そいつは昼飯の時間になると、おかずをみんなから恵んでもらって大喜びで食べてた。もともと憎めない気のいいヤツだったので、みんなそいつの笑顔が見たくて、だんだんいいおかずもあげるようになった。
卒業するとき、そいつは弁当の時間が一番楽しかったと言って泣いた。他のヤツももらい泣きした、イジメの不思議なほどない良いクラスだった。

あったかい弁当

中学生の頃、冷たい飯が苦手だった私は、保健室に弁当を持ち込み、ストーブで温めて食べていた。(九州の学校では各教室にはストーブはない)
高校受験の日、その日は朝からとても寒かった。昼休み、今日は冷たい飯かぁと思って弁当を広げたら、ロールサンドと魔法瓶にコーヒーが入っていた。
食べ終わった頃、弁当の包みからメモ紙が出てきた。「ガンバレ兄ちゃん!」「後は得意の理科と英語だけ!」と、母と妹の字で書いてあった。絶対受かると思った。  (て:受かった)