新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

幼児虐待の話を聞くと、いつも猫のことを思い出してしまう。

田口ランディという物書きがいる。ランディというと男みたいだが、女だ。今でこそ小説家として売れているようだが、元々ブログの女王ならぬ「メルマガの女王」だったのだ。私は彼女の文章が大好きで、ずっと追いかけていた。しかし彼女はノンフィクションであることに限界を感じ、フィクションの小説の世界へ行った。「小説はいいよ。だって好きなこと書けるもん」当時、柳美里の『石に泳ぐ魚』出版差し止め裁判などがあり、ノンフィクションであることに窮屈さを感じていたのだろう。かくしてフィクションという「自由」を得た彼女は、ノビノビと小説を書くのだが、スピリチュアルな面が出る傾向が強くなった。私は彼女のドロドロとした人間くさい話が好きだったので、「神様」に出てこられると一気にしらけてしまう。彼女のメルマガも休刊し、自然と彼女の文章から離れてしまった。
しかし、ここ最近の虐めや虐待、医療ミスなどの事件で、ランディの文章を読み返してみた。もう5年以上経っているのに、いまだに新鮮なそして強烈な読み応え。ああ、やっぱり私は彼女の文章が好きなのだ。
ということで、しばらく田口ランディの文章を紹介しまくる、「田口ランディ強化キャンペーン」をやることにする。これまでのようにそのままリンクを張って紹介するだけでもいいのだが、今回は「編集者」になったつもりで、彼女の文章をさらに簡潔にまとめてみようと思う。

やってきた小猫

21〜23歳の頃、私は荒れていた。職を転々としてた。とにかく何をやってもうまくいかない。うまくいかないというよりも、不満足だった。文句ばっかり言っていた。体調は悪いし、お先真っ暗だし、金はないし、ロクなもんじゃなかった。
そんな時、友人のひろ子ちゃんがやって来て、私に小猫を、なかば強引に押し付けて行った。私は小猫どころじゃなく、自分が食うのもままならない状態だったのだけど、なぜか断れずに小猫をもらったしまった。もしかしたら寂しかったのかもしれない。私は猫に「シコメ」というひどい名前をつけた。なんだかそういう気分だったのだ。猫は生後1ヶ月くらいで、ふわふわでかわいかった。
私はその当時、昼と夜と掛け持ちでバイトをしていた。夜中に帰って来ると、シコメが狂ったように泣き叫んで私の足にまとわりついて来る。猫も一日中部屋に閉じこめられてさみしかったのだろう。当時の私には、その猫の泣き声がなんだか自分を責めているように聞こえてたまらなかった。たぶん私には、あの時、たった一匹の猫を養育する心のゆとりもなかったんだと思う。そんな状況だから覇気がなく、男にもちっともモテなかった。寂しいもんだからよけいに明け方まで飲んだ。飲んで帰ると、猫がぎゃんぎゃんと私を責めるのである。
ある晩、酔っ払って帰って来て部屋の電気をつけたら、ストッキングの足下に黒い粒々がたかっているように見えた。え?私もついにアル中になったかとがく然とした。アル中になると虫の幻覚を見るようになると以前に聞いていたからだ。よくよく眼をこらして見ると、その黒い粒々はノミだった。部屋を閉めっぱなしにして猫を飼っていたので、部屋の中で猫のノミが繁殖してしまったらしい。まったくなんてこった。それなのに猫はぎゃんぎゃんと泣き叫んでいる。養育放棄されていた猫は半ノイローゼ状態になっていて、鳴き方も半端しゃなかった。
私は足で猫を蹴飛ばした。何かもう、本当に辛くて苦しくてこの猫を殺してやりたいと思っていた。猫に罪はないのはわかっている。でも、猫が鳴くと、まるで自分を無能無能と責めているようにしか聞こえない。蹴飛ばしても蹴飛ばしても小猫は足にまとわりついてくる。その小猫をさらに何度も何度も蹴飛ばして「うるさいっ、もういいかげんにしてよ」と一人で泣き叫んで怒鳴った。まったくアホである。その晩はノミのことが気になってほとんど眠れなかった。布団の中でめそめそ泣いた。このまま気が狂いそうだと思った。

私は小猫に捨てられた

眠れずに、翌朝、早くに起きだして、窓を開けた。いくぶんでもノミから逃れられるかと思ったからだ。それから、せっかく早起きしたのだからゴミを出そうと思った。猫のトイレもずいぶんと取り換えていなくて、異臭を放っていた。それを捨ててゴミ袋に詰めた。そして、ゴミを出そうと部屋の扉を開けたら、猫がひょん、と外に飛び出したのだ。この猫が自分から部屋の外に出たのは初めてのことだった。
「なんだよ、おまえ、どこ行くんだよ」私が呼ぶと、猫はちょこっと後ろを振り返ったけど、そのまま朝日の当たる舗装道路をトボトボと歩いていく。あいつは産まれてから一度も外に出たことがないハズだから、さぞかし外は恐ろしいだろうと思うのだけど、ノロノロと、でも一直線に道路を歩いていくのだ。
今でもよく覚えている。本当に天気の良い朝だったんだ。なんだか小猫の方がずっと清々しく、勇敢に人生を踏みだしているように見えた。捨てられたのは私のほうだ、と思った。私は小猫に捨てられた人間なんだ、って思った。
このままじゃいかん。絶対にこのままじゃダメだ。そう、心から思った。そして、その後に私はもう一度自分の人生を立て直すんだけど、そのきっかけになったのは、あの朝、子猫に捨てられたことだと思う。
その後、何かある度に、私は出て行ったシコメのことを思い出す。あんな小さいくせに、飼い主を見切って出て行った。あの猫のことを思い出す。そして自分は、猫に捨てられてしまうような、小猫を虐待するような、そんな弱い人間であることを思い出す。ずいぶん長いこと、猫も育てられなかった自分に子供が育てられるだろうか、と怖かった。私は人生が安定してから子供を産んだので、今でこそお気楽に子供を育てているけれど、23歳の時に産んでいたらどうだったろう。考えるだけで怖い。
幼児虐待の話を聞くと、いつも猫のことを思い出してしまう。