サンダーフォースVI外人4コマ
『サンダーフォース』とは何か
サンダーフォースには、しっかりと「伝統」ってモンがあるんだからよ。ちゃんと昔と同じにしてくれよ。勝手にプロデューサーの個性とか入れるなよ。イメージと合わねーんだよ。
若爾蓋記:あこがれのナポリタン
それでいて
だからって、ただの復刻版とかはもっと最低だ。ふざけんな。かつての最先端シューティングだったサンダーフォースの志がわかってねえよ。何か新しいことにチャレンジしろよ。
なんてことを言う。全くやっかいな客なのだ。
だが、かつてサンダーフォース1から2になったとき、半分横スクロールシューティングになり、3では完全に横シューになった。過去の伝統をバッサリ切り捨てたのだ。もしTFファンが原理主義者なら、3は受け入れられなかっただろう。
では、何をもって「サンダーフォース」と言えるのか。武器切り替え式の硬派な横スクロールシューティングならサンダーフォースなのか。
違う。
その時点でのハードの限界に挑戦し、限界を超えた表現に挑戦し、プレイヤーの限界に挑戦する。それがサンダーフォースではないのか。1から5まで、それは一貫している。1ではスクロール機能のない8bitパソコンで高速8方向スクロールと音声合成、2では発売間もないハードでアーケードにも勝る度肝を抜く演出を、3ではラスタースクロール、4ではメガドライブの音源チップのどこを叩けばでるのかと言われたギターサウンド、5ではサターンの機能をフルに生かした演出と、フリーレンジによる圧倒的な爽快感。どれも「挑戦心」の塊だった。
しかし、サンダーフォース6にはそれが全く感じられない。それこそ「原理主義者」の自縄自縛になってしまっている。
結局サンダーフォースはテクノソフトが作らない限り、絶対に受け入れられないのかもしれない。テクノソフトが作れば、過去のサンダーフォースを全く踏襲しなくても「これが新しいサンダーフォース」と納得できるかもしれない。しかし、他者であれば「こうでなくてはサンダーフォースではない」と皆それぞれ持っているのだから、多くを納得させるには、凡庸で無難なものになってしまう。サンダーフォース6がそうなってしまったように。