「要領がいい」人なんていない
- 「要領の良い人悪い人」の続き
要領(ようりょう)がい・い
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1 処理のしかたがうまい。手際がいい。「ベテランらしく―・い」
2 手を抜いたり、人に取り入ったりするのがうまい。「―・いだけで実のない人」
適材適所
単純なマクロで自動化できる作業なら、そうするのが当たり前。でも、手書きベースの資料からデータベースを新たに構築するとなると、どうしても手入力が必要になる。この作業は単純で誰でも出来そうだが、ミスがないように確実に行うのは誰にでも出来るわけではない。少なくともワシのような性格では「バカやろー、今時手書きで資料作るなよー」とか文句たらたらで、嫌々やるから、はかどらないしミスをする。つまり、こういった作業をコツコツ忍耐強くできるってのは、一つの才能なのだ。んで上がったデータでワシがそれを使いやすくデータベース化する。要は「適材適所」ってことだ。
「アイツは要領がいい」と陰口をたたくヤツほど、仕事していない
仕事のやり方を分かっている人なら、一見手抜きをしているように見えるのを「要領がいい」なんて言わない。なぜなら手抜きが出来ると言うことは、仕事の本質を捉え、効率的に作業をやっている証拠だからだ。本当に手抜きをしていれば、当然結果に表れる。同じ結果ならば、作業は楽で短い方がいいに決まってる。「アイツは要領がいい」等と陰口をたたく者は、大抵は自分の非効率さを棚に上げている「給料泥棒」である。そしてそのことを指摘すると「俺だって一生懸命努力してるんだ」。自分に支払われているカネは努力に対してではなく。努力の結果に対してだということを分かっていない。「結果が全てじゃない。過程が大事」*1という学校教育は、よほどよく浸透しているようだ。
そして「過程が大事」と言う者ほど、過程を見ていない。この類の者が見ているのは、「一生懸命さ」だったり「遅くまでやっているか」だったりする。なるほど、同じ事でもデブが汗かいてやれば、一生懸命に見えるし、遅くまで残ってれば大変だなと同情もされる。素晴らしきかな「人間らしさ」。「工夫する」「知恵を出す」と言った、人間にしか出来ないことは彼らにとっては「人間らしさ」ではないのだ。
要領よく見える人ほど、見えないところで努力している
野球界でちゃらんぽらんと言えば新庄剛志だろう。「ジーパンが履けなくなるから、ウェイトトレーニングしない」「派手なジャンピングキャッチ」など、いい加減な人間だと思われやすい。しかし実際はそうではないことは野球ファンなら知っている。テキトーにやってあの守備が出来るはずがないし、要領のいい人間にあの体を作ることなど出来ない。
ラダムンも、要領のいい面はあったのだろうが、それが出来るだけの努力を自分では気づかずにしていたに違いない。それにK先生や○○さんも気がつかなかっただけだ。
生まれつき何でも出来る者などいない。放っておかれた赤ん坊は言葉をしゃべれない。素質や環境の差こそあれ、努力無しで出来る事など有りはしない。もし、「アイツは要領がいい」と思ったら、まず自分が本当に努力しているか、その努力の質や方向を間違えていないかを振り返ってみるがいいだろう。
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- さあ? ゲームソフトを売っているわけで、ペットボトル入りの汗を売っているわけじゃないよね。
ありがちな勘違い。是非読んでみて。
おまけ『彼氏彼女の事情』の芝姫つばさ
『カレカノ』の芝姫つばさは、容姿から自分が人にかわいがられることを利用し「要領よく」暮らすが、思いを寄せる有馬総一郎と同じ進学校に通うために13時間も勉強をし、見事合格する。しかし、有馬は宮沢雪野にぞっこんであり、芝姫の思いは叶うことは無かった。芝姫は感情を爆発させ心情を吐露する。
この作品は、そういった場面が数多くあり、観る者の胸を打つ。いいよー
*1:過程が大事なのは、次の結果に繋がるから