新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

もし「忠臣蔵」の時代に、現在の新聞があったら…


映画、テレビ、歌舞伎などでおなじみの「忠臣蔵」は、元禄赤穂事件を題材にしたものだが、もしあの時代に現在のような新聞があったら、この事件をどう扱うかと考えてみた。
江戸城内の松の廊下で、浅野内匠頭吉良上野介に切りつけた刃傷事件はさっそく第一報で、浅野のみが非難されよう。
理由はどうあれ、城内で武器を使用し、しかも相手にケガを負わせるというのは言語道断。事件の真相を明らかにして再発防止に努めるべき。加害者は厳罰に処されて当然」
と“社説”が出る。浅野が死刑となり、赤穂藩には不穏な動きが高まると新聞も世論を気にしだす
藩士たちの不満も理解できぬわけではないが、もし報復という愚挙に走れば、必ずまた報復を呼ぶ。ここは冷静に考え…」
藩士たちの自制を求めるはずである。なにしろ仇討ちが大好きな国民性だからだ。
しかし事態は新聞が求めるのとは逆の方向に進み、ついに大石内蔵助率いる四十七人の“暴徒”が吉良邸を襲った。襲撃の模様が詳しく報じられた翌日の本紙では
法治国家では考えられぬ最悪の事態が起こった。いかに主君の恨みをはらすためとはいえ、このような暴挙は絶対に許されるものではない。幕府は関係者の責任を厳しく追及する一方、さらなる報復が行われぬよう…うんぬん」
と戒める。
浪士たちの切腹が決まり世論が同情に傾くと、これはまずいとなり
「そもそも発端は幕府の旧態依然たる制度にあった」
今度は幕府非難となっていく。
9・11テロ後の米国を見ていると、こちらも「忠臣蔵」の世界だ。報復のためには大義などどうでもいいのである。人間の業はかくして報復の連鎖を続け、誰もとめられないまま時間だけがいたずらに過ぎていく。
一字一句「あるある… いや、あるあるある」と唸ってしまう。マスコミ関係者、というかマスコミそのもの中の人なのに、ここまで自己批判できるのか。「東海新報 世迷事」のこの書きっぷりは異常。
東海新報Web版広告担当者様:広告はトップページよりも「世迷事」に貼った方が効果があるかも。ただ、この物言いっぷりだとスポンサーがつかないかも知れませんが(笑)

おまけ:「世迷事」ベストセレクション

これだけだと引用しただけで申し訳ないので、「日本一『世迷事』好きなブロガー」を自認する私のお気に入りコラムを紹介。

現代に欠けているのは「叱る」という行為である

(日本が)末期的症状を呈している原因の最大のものはなにか。家庭も学校も社会も肝腎なことを教えていない、気付いていないという結論を導き出すのは暴論だろうか。
叱られる=なにか悪いことをした=それはなんで悪いのか=悪いことはできないーという体験的思考法を幼児期に仕込まないと、善悪に対する判別ができなくなる。この判別こそが理性なのである。
子どもと一緒にいる時間が少なければ少ないほど、叱る機会も減る。してはいけないことを目撃する機会が比例して少なくなるからだ。叱られるー反省するという反復の中で人は育ち、それが規範となっていく。

首相の靖国参拝とは結局のところなんだったのか?

参拝が中韓にいまわしい思い出を蘇らせるという決まり文句は、表層をなぞっているに過ぎず、本心は別なところにあるということ。そして反対が賛成を上回っていた国民世論というものも、実はメディアのリードによってムード的に醸成されてきた一面も否定はできない。

ビールサーバー買っちゃった

家庭であじわう生ビールはビンか缶であり、本物には及ばない。そこで「家庭をビアホールに!」という不遜な企みが頭をもたげはじめ、すぐその気になる多血質もあいまって、則実行となった
サーバーをネットオークションで探し出し落札した。業務用の大型だが、なにしろ新品の何十分の一。ところが届いてみると説明書がない。ネットオークションにはこのように事故(故意、不作為を含め)がつきもので、そこをあらかじめ覚悟する必要がある。友人のおかげでことなきを得たものの「減価償却を助けてやる」と恩に着せられる。単価比ならビン、缶より安いが、消費量が多くなるのが難点だ。これが紙に印刷されて売っている新聞のコラムですか!(笑)50過ぎ(推定)のオヤジがネットオークションでビールサーバー落としますか!