新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

日本最古のゲームサークルの歴史

TERRAZI2009-01-22

先日、シューティングゲーム(東方シリーズ除く)オンリーイベント「Wing:1 〜コンティニュー6回目〜」 というイベントの告知イラストをTwitterで知って、「なんだこりゃ。シューターイベントのポスターには見えん」とツッこんだところ、描いた本人から「元々「萌えSTGオンリー」だったのでそれから大きく雰囲気が離れない方が良いと判断した」との返答があった。なるほど、そういうことならわかる。「東方除く」なのに、なぜか女の子キャラばかりなので、チト面食らったのだ。
その後、Ustreamで彼女のお絵かき実況があったので、見に行った。その時の会話。

konaken-1 * 99年当時から続いているグラディウスのサイトはうちと原始芋さんの所の2つだけになってしまった。さざなみ壊変とか、「今」グラでやっている人はたくさんいます。でも99年当時の人は(うちを除いて)みんなACグラIからのネイティブだったので、そういう人がグラディウスでサイトをやってくれなくなったのはとても損失だと思う。
konaken-1 * ネットとかで二次的に情報を得て知った気になってもそんなことに意味はなくて、なんでもリアルタイムで見て聞いた人の言葉にこそ意味があるのに、世代がとぎれてしまっている
TERRAZI * んー、まぁ、それが時の流れって奴なんだろうなぁ。
konaken-1 * しかしながら現代で、新作出して万売れるSTGグラディウスだけです。つまりはそういうこと。「シューティングゲーム」と言う言葉は知らなくても「グラディウス」ってゲームを知っててあそんでて好きな人はいっぱいいる。25年続いたものは、文化になるんだってさ。
TERRAZI * ワシはある意味逆で「文化」とか言い出したら、それは終わりだと思ってるよ。まぁ、長く続いていくものは、スタンダードになるんだけど。続くってのは難しいわなぁ。
konaken-1 * だから、グラディウスがゲームシステム的に何にも変わらないままずっと続いているのは純粋にすごいと思う。

熱い。彼女は本当にグラディウスが好きなのだ。愛しているのだ。そして、彼女の「世代が途切れている」「25年続けば文化」に強く心を動かされた。

人間だけが遺伝子以外の手段で知識や情報を子孫に伝えることができる。蓄積されない情報は無いのと同じだし、伝えられない情報もそう。先人の功績を知識として受け継ぎ、次の世代に繋げていかないと、コミュニティは滅びるし、長く多くに伝えられれば、それは文化となる。

てらじ on Twitter: "人間だけが遺伝子以外の手段で知識や情報を子孫に伝えることができる。蓄積されない情報は無いのと同じだし、伝えられない情報もそう。先人の功績を知識として受け継ぎ、次の世代に繋げていかないと、コミュニティは滅びるし、長く多くに伝えられれば、それは文化となる。"

ただし「文化」などと言われる頃には、コミュニティは成熟し、成長は鈍化する。当然、初期の頃のような熱気は薄れていく。だから新しい人材の新鮮な発想や考え方が必要なのだ。

てらじ on Twitter: "ただし「文化」などと言われる頃には、コミュニティは成熟し、成長は鈍化する。当然、初期の頃のような熱気は薄れていく。だから新しい人材の新鮮な発想や考え方が必要なのだ。"

ワシはもう「シューター」と呼べるほどシューティングをやっていない。だからTwitterのシューター部にも入っていない。それでもやっぱりシューティングは好きだ。ゲームが好きだ。
だから自分がこの目で見て経験してきたことを、少しでも伝えようと思う。

VG2の歩み - VG2連合誌第7号(1985年3月発行)より

その昔、『VG2』という全国規模のゲームサークルがあった。その会誌に掲載された植村会長のコラムをテキストに起こし、整形したものを以下に転載する。

日本最古(?)のゲームサークルの結成と解散


昭和56年2月、中山幸男氏を主将に高島平ゲーム愛好会が発起された。入会規則はゲームが好きであること、会員の100%が学校の同級生で、いつの日か全国規模の会になる事をスローガンに10人前後の小さなサークル活動を開始した。多分、日本最古(ちょっと大げさかな?)のゲームサークルであろう。
最初の内は、まあーまあーまともに、会活動をやっていたのだが、1人やめ2人やめ、その後会員と言う名ばかりで、みんなゲームをやめてしまった。長いゲーム歴を持つプレーヤー諸君ならお判りだと息うが、ちょうどこの頃ゲームプレーヤーの第2次減少シーズンが訪れていたのである。面白いゲームもろくに出ず、同級生達も、もうゲームの時代も終りだよ等と言い、私、蕃北もこの世界に絶望の危機を感じていた。その数日後、頭の中山氏引退宣言の元に事実上解散に近い形になった。会長ではなかったが会活動にその全力を尽くしていた蕃北は、このままではいけない!と、1人開き直っていた。

復活への歩み

しかし、この開き直りが今考えれば、今日の連合が存在する重要なポイントに成ったのかもしれない。なにくそーと、負けず集いであった蕃北は、会の復帰を夢見て頑張った。当時、区内最高レベルと言われていたゲームセンターの常連客に思い切って声をかけ仲間の増加に力を入れた。この店の常連は歳の全く達う人達が仲良くゲームをやったり話したり、当時の私にとっては、とても考えられない光景であったが、これこそビデオゲームを好きな者の利点の1つでもあるのだ。年齢差に関係なく気軽に声をかけられるのが、この世界なのである。現在、連合本部の中心的活動をしている人達の大半も、この頃連合へ入会しており、1番の急成長の道をたどっていった。

中山氏が引退してから1年後、会も板橋ゲーム連合とその名を変え、会員総数も200名を突破していた。当時の入会規定は100%スカウト方式で、こちらが地方遠征をふんだんに行い、これは、と思える様な人には、すかさず声をかけていたのである。東京都23区内に住んでいると言う恵まれた利点をふるに生かして、活動の活発化を常時目指していた。

大人は理解してくれない

サークルが小さい内は良かったのだが、日に日に大きく成るに従って両親から忠告が入り、時おりけんかと成る事もあった。ゲーム仲間は判っていても、学校の友達や大人達は其のゲームの面白さや良さを知ろうとしてはくれない、頭から「ダメだ!!」「いつまでやってるんだ!!」と、同じ事をテープの巻き返しの様に毎日毎日言う!気の強い蕃北も少しノイローゼ気味となっていた。いくら凝り性でも、やはり僕のやってきた事は過度的行為であったのであろうか、会どころかゲームを止める事まで真剣に考え始めた。

ナムココミュニティマガジン『NG』の発刊とゲームサークルの活性化

そんなある日の事である、ナムコ社からNG読本が発行され、それを封切りに続々と出現したゲーム雑誌に載っている地方サークル団体の数々。この世に、こんな事までやっているのは我々だけであろうと思っていただけに、胸の中がいっぱいになって、後から後から込み上げる涙をぐっと歯を喰いしぼってがまんした、あの瞬間を未だに私は忘れる事ができない。私は自分の弱い心に勝った。おじいさんがよく口癖、「人間とにかく1番に成る事や!たとえ、それが社長だろうが、スポーツだろうが、遊びだろうが、1番に成らなきゃ意味はない」と言っていたのを息い出し、こうなったら日本一のゲームバカになってやろうと堅い決心をした。(もし、この文を読んでいる方々の中に、バカな奴だ日と思う方々がいたら、それでも良い、しかし、私は真剣な考えを基に活動している事を覚えて置いて欲しい。)

VG2連合発足

雑誌がたくさん出ていても、我会は他会の様に誌面の会員募集にはたよらず、ただひたすら自分の足で話の判る仲間を増やしていった。会の人数も増え、活動力のある人連に各種好きな活動をしてもらおうと、連合所属会を配置し全国支部を置いて名前をVG2連合とした。この頃から他の大手サークルと交流を持つ様になり、メーカー訪問開始となった。創刊号は内容の充実さえなかったが、なかなかの評判で無事発行された。我連合は、ただ人数を集めているだけでなく、子供だって人数が集まれば大人に負けないんだ!!と言う意気込みで、今後も頑張っていきたいと思う。

情熱を受け継いでいく

このVG2連合会長、植村蕃北氏は、後にアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』の初代編集長となる。そこに至るまでには、このようなほとばしるまでの熱い情熱と努力があったのである。
その情熱は世代を超え、このコナ研や id:firestorm ら若い連中に受け継がれている。自分もゲームの歴史をリアルタイムに体験してきた者として、彼ら彼女らの助けになれればと思う。

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「遊びを文化にする」というのはどういうことでしょうか。ある物に対する「経験」や「話題」を世代を超えて共有するということはどういうことでしょうか。人に寿命があるように、おもちゃにも、物としてあるいは商品としてのかぎりある「寿命」があります。
ある人が、リカちゃんを25周年持ち続けてもそれは「25年前のリカちゃん」にしかすぎません。女の子の普遍的なおもちゃとしてリカちゃんがある状況、それが25年続いて、親子で同じ遊びの環境を体験できる、それが「遊びの文化」でしょう。
ではおもちゃがその遊びの環境を保ち続けるにはどうしたらいいか。その答えは「血統」を残すことです。
たんなるリバイバルではだめなんです。同じものを、老いさらばえたものを持ち続けるのではなく、「子孫」を作っていくこと。その時代に生きる物(者)としてふさわしく、かつ、「血統」を持った物(者)を存在させ続けることです。

「大切なのは血統を作品に残すこと。」(by 荒木比呂彦先生) | フジサキBlog