新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

新たなるblogを目指して

思えば、blog界の低迷は、ブロガーの無個性な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。ネタ元数サイトをブラウザ上にひろげ、適宜に取捨選択して一コンテンツを成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮糞(クソ)blogの域を出ない。そのネタの指す所のものをよく知り、よく考え、広義・狭義にわたって解釈を施す以外に王道は無い。blogは、コピペの結果ではなく、ネタ蒐集と思索の産物でなければならぬ。尊厳な人間が一個の人格として扱われるごとく、須らく、一サイトのblogにはブロガー独特の持ち味が、なんらかの意味で滲み出なければならぬものと思う。
しかしながら、一面から言えば、思索の結果は主観に堕しやすい。今回私の記した文章は、それなりに沈潜の結果成ったものではあるが、シャープならんと欲する余り、表現が厳し過ぎるという批評を甘受すべき面が或は皆無ではないかもしれない。blogが個人の表現手段として普遍妥当的なものに成長するためには、今後万人の実験を期待する。私は歓迎する─そのような意味における読者・利用者の声を。それはblogを育てる上には必要欠くべからざる要素であると思う。
元ネタ:新明解国語辞典 新たなるものを目指して(初版 序)