プロである条件
実写ドラマ版『火垂るの墓』の事を書いたら、「火垂るの墓、実写、クソ」というキーワードで検索してきた人がいる。まぁ気持ちはわかるが、そもそも火垂るの墓+松嶋菜々子+日本テレビの組み合わせで、良いモノが出来ると期待する方が間違っているだろう。
最小限のコストで勝負するのがプロ
別に、火垂るの墓が駄作だとか、松嶋菜々子が大根だとか、日テレのドラマ制作能力が低いと言っているのではない。火垂るの墓は名作だし、松嶋菜々子は人気女優、日テレは視聴率好調なテレビ局だ。「名作+人気女優+人気テレビ局」死角はない。負ける要素がない。であれば余計なコストを支払って「勝負」する必要などどこにもないではないか。私のように、やれCGがチープだとか、シナリオがお粗末だとか言うヤツなんか極少数。0.1%も視聴率に影響はない。
野球で10-0で勝とうが、1-0で勝とうが結果は同じ。10-0で勝ってる試合に抑えの切り札を出す監督はいない。130キロで打ち取れるバッターに150キロを投げ込むエースはいない。最小限のコストで最大の利益を得る。それがプロだ。
テレビ局が作っているのは作品ではない
大前提であるが、テレビ局が作っているのは「視聴率」であって作品ではない。連続ドラマであれば次回の視聴率に影響があるから、それなりに良いモノを作る必要があるが、単発ドラマの場合は関係ない。作品を良くするためのカネがあるくらいなら宣伝にまわすべきだ。事実、「メイキング」称した宣伝番組が放映されている。
恐ろしくアニメそっくりだった清太と節子
見ていて驚いたのが、清太と節子の演技がアニメそっくりだったことだ。演じている二人がアニメを見ていたから、似てしまったのだろうか。それにしても非常によく似ていて、撮影時にアニメ版のモニター見せ「この通りにやって」と演技指導したのではないかとまで勘ぐってしまう位だ。もし、私の言う「プロ」であれば、こうするのは当然だろう。