新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

目の使い方

あちらこちらで「目が悪い」という話を聞いた。小学校に上がる前から目が悪いってのは心配だ。我々の子供の頃とは違い今の子たちは、生まれた頃からPCやテレビゲームが家庭にあり、小学生でも携帯メールを使っている。目によくないとされているものに囲まれているわけだが、これを避けて生きていくことはできない。だから上手な目の使い方を覚えよう。箸や鉛筆の使い方、歯磨きの仕方、かけっこを速く走るコツなんかは教わるのに、目の使い方を教わることはほとんどないのではないだろうか?
私は現在視力は両眼とも1.5。しかし小学2年生頃には0.2まで落ち込んだことがある。原因は暗いところで本を読んでいたこと。当時自分のベッドを買ってもらった私は、テレビや映画で見た、ベッドのランプで本を読む事に憧れ、実践していた。ちょっとだけ大人になった気分だったのだ(笑)当然視力は落ちこんだ。これは良くないと思った私は、それをやめ、本を読む量も減らした。読むときは明るい場所や、照明のあるところで読むようにした。また、そのころから駄菓子屋ゲームセンターに通うようになり、ゲーム小僧になっていった。ゲームの激しい動きが、かえって私の目には運動になったのだろうか、視力はみるみる回復し、小学5年生のころには1.5になった。それから、家庭用ゲーム機やPCなどの洗礼を受けるが、いまだにその視力を保っている。
ただし、それにはそれなりの努力はしている。まず高品質な照明を用意すること。インバータータイプの明るく安定したものを使う。ディスプレイもできるだけ高品質なものを使う。まめに掃除し埃が目に飛び込むようなことがないようにする。この辺りがハード的な工夫だ。
ソフト的なものとしては、まず目を「使わない」こと。目を使わずにものを見ることができないと考えるのは間違っている。武道の達人が目に頼ることなく、敵の動きを予測するように、イメージを想像する力を養うのだ。ボールを手から離せば、重力に従って落ちることは誰でも想像できる。見るべきは落下している間のボールではなく、落ちる先の地面の傾斜だ。それを見て、どちらにボールが跳ねるかを予想する。こうすればじっとボールを凝視するよりも遙かに目の負担は小さくなる。小説を読むときも、すべての文字を読まなくても、ある程度の展開は予測できる。目はその予測が正しいことを確認すればいいだけになる。私は文庫本1ページの内、おそらく半分も読む必要はないだろう。元々人間の目は自分が考えるよりも、正確にはものを見ていない。錯覚ってやつだ。見ていないならば、もっと積極的に目よりも脳で見るようにするのだ。
それでもやはり目は疲れてしまう。焦点が合わなくなっているのに、そのまま目を使い続けることは、間違えた焦点を目の筋肉や神経・制御する脳に覚えさせてしまうことになる。そうならないように、目を休ませることが大切だ。疲れたらまず清潔な水で顔を洗い、目をクールダウンする。その後、蒸しタオルなどで目を温める。硬直した筋肉をほぐすのに効果抜群である。蒸しタオルはタオルを熱湯に浸したものでもいいし、水に濡らして電子レンジで加熱してもいい。タオルが用意できないときは、きれいに洗った手のひらをこすりあわせて暖め、それを目に当てるだけでも効果がある。目薬は一時的には効果があるかもしれないが、常用するのは良くないと思う。
こういったちょっとした工夫のおかげで、目を酷使する職業・趣味でも目の健康を保つことが出来ている。インバーター照明は、安ければ1万円からあるし、大型の見やすいディスプレイも、10万だせばおつりが来る。ほんの少しのお金と工夫で、一生分のメガネ・コンタクト代が浮くのだから、是非実践してみて欲しい。