新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

えひめ丸について思ったこと


米原子力潜水艦「グリーンビル」と衝突し沈没した実習船「えひめ丸」の引き揚げ問題で、米海軍は19日、「純粋に技術的観点から引き揚げの是非を決める」と発表した。日本政府や行方不明者の家族からの厳しい引き揚げ要請に“政治色”の排除を宣言した形だ。
スコーピオが撮影したビデオを見た米国の引き揚げ専門家の間でも、その可否について意見が分かれている。また、引き揚げには少なくとも100万から1000万ドルの費用が必要とされる。こうした中で米メディアは、日本政府の圧力を紹介するなど、えひめ丸の引き揚げ問題は全米の注目を集めている。
海軍が引き揚げの是非の判断で「技術問題」に焦点を絞った声明を発表したのはこうした背景があるためで、最終的に引き揚げ不可能と判断した場合の予防線とも受け止められている。
今回の事件(もはや事故とは呼べない)は100%原潜側に非がある。100:0の交通事故みたいなものだ。被害者側が何を言おうと、加害者側に弁解の余地はないだろう。だからといって、「引き上げろ。いくらかかるかなんて知るか。お前らが全部悪いんじゃないか!」ってのはホントに犠牲者とその遺族のためになるのだろうか? これがもし50:50の事故だったとしたら、遺族は引き上げのために5億円払うのだろうか?
「誠意を見せろ」遺族の気持ちはわかる。しかし現実として「誠意」とは「カネ」なのだ。10億円のカネをかけて得るものは、遺体だけではない。「10億ふんだくったジャップ」という反感も必ず付いてくるのだ。
同じ10億を使わせるなら、死んでしまった人のためではなく、生きている人のために使って欲しい。例えば全国の水産高校に寄付するとかはどうだろうか? 死者に語らせるのは卑怯だと思うけど、海の底の9人もそう思うんじゃないかな?
それでも技術的に可能となれば、アメリカ側からは「引き上げます」としか言えない。であればこそ、相手が言い訳できないからこそ、こちら側から「ありがとう。でももういいよ。」と言う勇気と寛容さが必要なのではないだろうか? それこそが「日本人」ではないだろうか?
でもやっぱり諦めきれない気持ちもわかる。だから私は「技術的に不可能」という結果になることを願っている。 (て)

(2/23 00:45 追記)


技術的には、引き揚げ実現の可能性が高いという判断で、今後、具体的な引き揚げ方法を含めた検討作業に入る。日本側は「行方不明者の家族の気持ちを踏まえて、ぜひ実現したい」と決意を表明した。
引き上げを望む遺族にとっては「朗報」がもたらされたことになるのだろう。メディアは「行方不明者」という表現を使っている。「遺体を見るまでは」という遺族の気持ちを考えると、やはり引き上げるべきなのかもしれないとも思う。nabuさんの言うように、遺体がないと「行方不明者」のままで、補償上の問題があるってのも、現実的な問題だろう。
潜水艦の乗組員を憎み、アメリカ海軍を憎み、アメリカ軍全体を憎み、アメリカ全体を憎む。対応がまずかった森首相、日本政府をも憎む。今の遺族の心は悲しみと憎悪で一杯なのだろう。だってそれだけのことをされたのだ。SFXさんのように思ってしまうのも当然なのだ。
だがだ、だがそれでもだ、人を責めて責めて、相手に非を認めさせ、謝罪させ、こちらの要求を全面的に呑ませる。それで遺族の心は癒されるのだろうか? そうではない。相手を許すことができなければ、悲しみから、憎悪から、いつまで経っても縛られたままではないか?
「どうやっても謝罪しきれない相手だからこそ、こちらから許す。」言葉では易しいが、とても難しいことだ。おそらく遺族はこれから何年もかかって、ようやくその気持ちになれるのだと思う。だから私の言っていることに無理があるのもわかってるのだ。
ただ、10億というお金を軽く見ないで欲しい。確かにアメリカ軍の年間予算2700億ドルからすれば、屁みたいなものかもしれない。でもこれは全アメリカ国民から5円ずつの出費を迫ることなのだ。田口美帆さんは「「10億もふんだくったジャップ」と思うアメリカ人はいるかなあ。」と思ってるみたいだが、Yahoo!USAの掲示板等で繰り広げられた模様を見ると、残念ながら「いる」と言わざるを得ない。もちろん少数だと思うし、逆恨み以外の何者でもないのだが、「真珠湾」「ミズーリ」という偶然が重なっていることを忘れてはいけない。何かを要求すれば、それに何らかのレスポンスが返ってくる。それが悪意に満ちたものではないことは、誰にも保証できないのだ。
人の死を、損得勘定や政治的駆け引きでどうこう言うのは、とても失礼なことだ。しかし10億というお金を、感情だけで動かすわけにはいかないのも事実なのだ。
そのどちらもわかるから私は「技術的に不可能」という調査結果がでればよいと思った。「あきらめ」がつくと思ったからだ。だがこうして可能ということになった。ここまで来ると、たとえ諦めようとしても、諦められなくなってしまった。こういう時は「当人たちの気持ちを一番に」といいながら、実は軽視されてしまう。「お金と命とどっちが大事なの?」「私なら自費でも引き上げるね」「今回は相手が全部持つんだよ? 引き上げさせて当然だろ!」「これで引き上げなくていいなんていったら、あれこれ揶揄されるかもよ?」こうやって周囲が追いつめてしまうのだ。肉親の死を悲しむ時間もろくに与えられずに。
この問題は「死」をどう考えるかにも繋がる。「死んだらただの肉片だ」と考える人は、臓器移植に賛成する。「脳死」は人の死ではないと考える人もいる。遺体を傷つけるのに抵抗を感じる人もいる。死ひとつとっても、いろんな考え方と価値観があるのだ。
そして今10億のお金を使って、遺体を引き上げようとしている。これはもう価値観の問題だ。どちらが正しいということではない。
「アジアには3円でワクチンが買える国があります」という公共広告を覚えているだろうか? こんなことは大変失礼なことだとわかっているが、あえて比較する。10億のお金で9体の遺体を引き揚げる。3億人の子供の命を救う。私は後者を選ぶ。  (て)
参考リンク:リメンバー・パールハーバー2001
この事件の関連情報がまとめられています。おすすめ。

(2/24 15:30 追記)

今から出かけるのですが、その前にみなさんに是非見ていただきたいサイトがあるので、URLだけ紹介します。
富久信介・17才の生涯
昨年3月8日に起こった、営団地下鉄日比谷線の脱線衝突事故で亡くなられた富久信介さんの父、邦彦さんが運営しているサイトです。

私の中学の同級生の兄貴で、高校の先輩でもある弁護士に会って以来ずーっと悩んできました。この先輩も交通事故で息子さんを失っている。「お前、訴訟なんか考えるな。何年もかかる。営団との交渉からも手を引け。誰か人に任せろ。後ろを振り返るな、引きずるな。お前が前を向かなければ、奥さんも残った息子も前を向けない。会社だって社員がいるんだろう。どうやったって、死んだ息子は帰ってこないんだ。忘れるしかないんだ。時間が解決する。気持ちのない奴を形だけ謝罪させて何になる。おれはそうした。それでも、女房の気持ちが帰ってくるまで2年近くかかった。」私や私の家族を心配しての忠告でした。頭では分かっているんです。もう二度と会えないことは。何をしても、何をされても、空しいし、悔しいのは。前を向かなくてはいけないのだけど、加害者が何の責任も取らないのは、レール管理の責任者が謝罪もしないのは、悔しいのです。この悔しさが少しでも晴れないと、前に向けないのです。乗客の命を軽視して申し訳ないと謝罪して、責任を取るまでは。それでも、息子は帰って来ないのだけど。空しいのだけど。
私は前を向かなければいけない、それも、なるべく早く。そう考えようと思ってはいます。赤字続きの会社も何とかしないといけない。私も妻もあれ以来涙を流さぬ日は一日もない。スッキリした目覚めの朝など一日もない。二人とも疲れている。そろそろ限界かもしれない。妻の心がこれ以上痛む前に何とかしないと。

てらゆかでも何度か扱いましたが、事故で肉親を失った遺族の方の気持ちがストレートに表現されているサイトです。それだけに大変「痛々しい」のです。ここでもう一度きちんと紹介すべきだと思っているのですが、今はそれができません。本当にごめんなさい。それでも是非読んでいただきたいサイトです。  (て)