新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

自分がやれる事。自分がやるべき事。


拉致問題イラク人質自己責任論・ハンセン病731部隊等に言及して)
僕たちのこの国はなんと鈍感で、なんと他人の痛みに平然としていることか。
その国で、多くの人たちが笑いながら、幸福を謳歌し、子供を育てている。その景色の明るく、陰鬱なこと。

目の前の危機を助けるのはそんなに偽善でもない感じかな。

ボランティア活動というのは「自分がやれる事をやれる時間の中でやる」ので良いと思っています。

「最近の若者のなんと他人の痛みに敏感なことか」

って思うんだよねぇ。痛みを知ろうにも、現状を見ることも出来ない、聞くことも出来ない、そして助けようにも手も届かない、声をかけることも出来ない所に居る人のことまで気にするような、大きな人間にはワシはなれんなぁ。ワシに出来る範囲ってのは、実際に手を握り声をかけて励ましたり、うんうんとうなずいて悩みを聞いたりできる距離に限られる。どう背伸びしたって、外国の名前も顔も知らない子供達や、乗ったこともない鉄道会社をなんとかしてあげたいなんて分不相応なことは出来ないよ。

遠い見ず知らずの他人よりも、まず汝の隣人を愛そう

って思わないのかなぁ。自分の地元やその周りにも、困っている鉄道・バスはあるだろうし、商店街で困っているお店やさんだってあるはずだ。なんでまずそこから始めないの? マスコミやネットで煽られないと、お前らは行動しないのかい? それで煎餅買って「いいことした」って思ってるようなお前らを偽善者って呼ぶんだよ。もっとこう浮かれた感じではなく、地に足が着いたことができんのか?

背伸びをするのはいい。でも地に足を付けず、ピョンピョン跳ねてちゃダメだ。

ずいぶん前に、なんかのキャンプに誘われた時、メシ食った後の時間の雑談タイムで「新しい歴史教科書をつくる会」をメッチャ叩いてる大学生の女の子がいてね、曰く「アジアの人々の気持ちを考えていない」。ワシは言ったよ。「お前さんにはアジアの人々の気持ちが分かるのか?」「一人でもアジアに友人がいるのか?」「アジアの人々の気持ちは分かっても、日本のために命がけで戦争をしなければならなかった、じいちゃん達の気持ちは考えないのか?」ことごとく論破した。彼女は日本が軍国化しないか心配して、一生懸命説得しているつもりだったんだろうけど、どこかで仕入れた知識で話す言葉に力はなく、上滑りするばかりだった。
背伸びをするのは若者にとって必要なことだけど、分不相応なことをしている自覚も無く「いいことをしている」って思い込んでしまうのは、とても無様だ。地に足が着いていないから、ブレたり飽きたりして、ピョンピョン跳ねてすぐに他のことにいっちゃうんだよ。
そしてそれを友人・知人に押しつけようとする姿は本当に醜い。不味いことに、自分はいいことをしてると思っているから、まるで自覚がない。逆に同意しない相手を「悪いやつ」とすら思うようになる。すると友人も距離を置くようになり孤独になってしまう。ところがこの状態を「孤高」と勘違いして酔ってしまったりする。こうなってしまうと手が付けられない。

「自分がやれる事をやれる時間の中でやる」

ululunのこの言葉は、実にもっともだ。ボランティアに限らず、全てのことに通用すると思う。が、「自分がやれる事」の範囲を過大評価している者が増えているように感じる。ネットの普及で自分に見えている範囲が広がった、言及できる範囲が広がったと勘違いしてるんじゃないだろうか。ネットを通すと、確かに世界中の情報にアクセスできるから、そのように思ってしまうのも無理はない。でも受け取る人間の器が大きくなってるわけじゃない。決して見えているんじゃなくて、見えてると「思っている」だけだ。
そして「自分がやるべき事」がおざなりになっているケースも多い。まず「自分がやるべき事」をやった後「自分がやれる事」を地に足を着けて無理せずやろうや。