「世界は広辞苑では捕捉できない」ように、「世界は自分のちっぽけなアンテナでは捕捉できない」
写真家・文筆家・画家の藤原新也という人が、松本零士x槇原敬之の盗作論争について論じているのだが、この内容が凄い。
ワシが小学校低学年の頃だったかなぁ。いや幼稚園だったかな? 皆既月食を見ようと、親に連れられて*1、夜外に出たのね。夜中に外に出るって事が珍しかったし、「月食」っていう言葉の響きと「月が消える」ってことに凄く興奮して、その時を待ってたのさ。普段そんなに月をまじまじと見る事ってないやん? 父親、母親と三人で月を見てる。青くてとてもキレイでね。「月光浴だね」ってワシは言ったんだ。その頃「日光浴」って言葉を覚えたばかりだったんだよ。
どこかのコマーシャルカメラマンが使ってパテントのようにしている「月光浴」という言葉は私が70年代に出した写真集の中で編んだ言葉と同じ。
この言葉の出所はアフリカだった。サハラ砂漠を旅しているとき、青の民族と呼ばれるイスラム教徒が満月の夜に一列に並んで地面に座り、満月に青装束の体をさらしているのを目撃した。
あっ「月光浴」だ!
と思った。
世界のどこにもない言葉が生まれる瞬間である。
地の果てまで自分の足で歩き、現場に立ち会い、独自な体験をしたとき、広辞苑にはない独自の言葉は生まれる。世界は広辞苑では捕捉できないのだ。
そして3000年の日本の歴史の中でも生まれなかった言葉がわずかな期間の中でふたつも生まれるはずがない。
思うけどね、「日光浴」って言葉が生まれてすぐ、「月光浴」って言葉も生まれたと思うんよ。「日光」なら「月光」って普通に連想するだろ。子供だってそう思ったんだもん。それを「自分が生み出した」ってどうやったらそこまで妄想できるんだろう。
「わずかな期間の中でふたつも生まれるはずがない」って言うけど、その時の世の中の情勢や環境が、新しいものの発明や発見に繋がっているわけで、同時期に同じ、あるいは似たものが生まれる可能性は高いはずだ。ベル、エジソン、グレイがほぼ同時期に電話を開発していたのは、あまりにも有名な話。
ワシはワシの文章が、ワシ自身から出たオリジナルだと胸を張って言えるが、だからと言ってワシしか生み出せないものだとは思わない。どこかに同じような事を考えている人がいるだろうし、同じような文章を書いている人もいるだろう。それを「盗作だ!」とか「パクりだ!」とは思わない。
「世界は広辞苑では捕捉できない」ように、「世界は自分のちっぽけなアンテナでは捕捉できない」のだ。
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