新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

ユニバーサルデザイナー栂紀久代さんは、やっぱりプロじゃない


障害者は観察されるモルモットではなく、意見を述べる使い手であることを、健常者が見過ごしている。作り手と使い手の対話の実践と実現は、今回のテーマだけでなくそれが本当だと思っています。
(中略)
障害者が安心して外に出られる環境に無い。これは、障害者を特別視して、殆ど障害者の意見を聞かずに作られてきたからだと思います。健常者と障害者と区別をする。それは差別に繋がっている事にも気がついていない。
だから平気で障害者の行動を観察して作る、つくり手になるのです。対話型の観察と、違うことを理解して欲しいと思います。対話型なら、作り手と使い手が考えるから良いものが出来るのです。
やっぱりこの人は全くわかっていない。障害者にもプライドがある。そんなのはわかっている。しかし、モノを開発するにおいて実験台が必要なのは当たり前。それを「モルモットにされた」と感じるか、「私が製品を開発しているんだ」という自負を持つかは、それこそ「個性」と言えるだろう。どちらがデザイナーとして向いた個性であるかは言うまでもない。
対話型の観察だけでは、つい開発者の意志や期待を被験者に押しつけてしまう。だからビデオ撮影によるブラインドテストが必要なのだ。こんなことは開発の初歩の初歩だ。
彼女にデザイナーの資質はない。「障害者」というだけで、「障害者のための開発」ができるわけではない。
私がもし彼女なら、喜んで「モルモット」になるだろう。障害者に使いやすい風呂場を開発したいと頼まれれば、喜んで全裸で入浴するだろう。障害者の性生活を研究したいと頼まれれば、恥ずかしいけどカメラの前でセックスするだろう。それが「プロの障害者」としての気概であり、誇りではないのか?