新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

「空気を読む」とはその場で最も重要なことを理解すること

一連のメンへラーシリーズ、ごく一部で好評をいただき、ピンポイントネタ師としてはうれしい限りです。当初の脊髄反射コメント・TBも収まり、中身のあるTBもいただくようになりました。落ち着いて話ができる状態になったと判断し、「一体アレは何だったのか?」という「ネタバラし」をやってみます。

なぜコメントを全削除したか

気に入らなかったからです。空気を読めない人たちの行動が。あの文章を読んで、多くの人が「元気出た!」と思いました。ところが、いい気分になっているところにあのコメントでは台無しです。あの出来事を現実社会に置き換えてみましょう。

ここは吉野家です。ある日、ちょっとだけ元気が無かった人たちが早起きしてやってきて、納豆定食を掻き込みながら「朝っていう時間帯はスゴいな!」と盛り上がっていました。ところがUの字テーブルの向こう側の、徹夜明けらしい不機嫌な連中が「ウゼーんだよ。こんなとこで青春してんじゃねーよ。吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。朝なんてクソ食らえだ。」と因縁を付け始めました。そこで店長は「人がいい気分で朝飯食ってるのに、空気読めよ。なっ?」と言って、店の外につまみ出してしまいましたとさ。

このブログの店長であるところの私は、その責任を果たした。それだけのことです。
メンへラーの言い分は、運動会で親子でお弁当を食べるのは、親が来れない子がかわいそうだからやめろ、と抗議するようなものです。それに気づいて欲しくて、『弁当の時間が一番楽しかった』というエントリーを書いたのです。

親が店やってて弁当を作ってもらえないヤツがクラスにいた。そいつは昼飯の時間になると、おかずをみんなから恵んでもらって大喜びで食べてた。もともと憎めない気のいいヤツだったので、みんなそいつの笑顔が見たくて、だんだんいいおかずもあげるようになった。
卒業するとき、そいつは弁当の時間が一番楽しかったと言って泣いた。他のヤツももらい泣きした、イジメの不思議なほどない良いクラスだった。

もし彼が弁当を作ってもらえないことにいじけて、教室の隅っこでボソボソとパンを食べていたり、おかずを恵んでもらうのをつまらないプライドが邪魔してできなかったら、どうだったでしょうか。いじめられっ子になったかもしれませんし、メンへラーになってしまったかもしれません。

なぜコメントに一切レスをしなかったか

これに関しては?Bへのid:otsuneさんのコメントがそのまま適用されます。

コメント欄の返しが、ことごとくウィットが無いのがすごい。もうすこし工夫というものがないのか。

もう少しだけ簡単に言うと「おもしろくない」からです。物事は全てTPOを考えて行わなければなりません。それがたとえ良いことだったり正しいことだったりしても、その場にそぐわなければゴミです。「鬱病患者を不用意に励ましてはいけない」確かに医学書や病院、あるいは患者の家族や友人の間ではそうなのでしょう。でもココはブログです。ブログで最も重要とされるのは、正しいことではありません。「おもしろいこと」です。これが分かっていないから、「メンへラーは燃えないゴミ」だと言ったわけです。「燃えない」をオマケに付けたのは、どれだけ煽っても彼らの気持ちを燃え上がらせることはできないことが分かっていたからです。「ブログ炎上」という最近の流行を体験したかったのですが、まあ無理だろうなと。彼らに欠けているものは、情熱とか積極性だけではなく「空気を読む」能力もそうなのです。だから不愉快で鬱陶しい話を所かまわず撒き散らしてしまうのです。
それから、「〜/  ´・ω)ミ<」こんなのを撒き散らしていた人ですが、ここだけではなくあちこちで似たようなことをやっているようです。あるブログでもゴミを撒き散らしたあげく、コメント欄を閉鎖に追い込んだことを大喜びしています。当人は全く自覚が無いようですので、本当の意味の「確信犯」です。私は完全スルーで事なきを得ましたが、荒らされたブログ主さんは生真面目に対応してしまったのです。不思議なことにそのコメント欄には、他にも見覚えの名前がありました。つまりはそういうことだったわけです。

本当に鬱病ならば、ネットなんかやってはいけない

彼らが言うように鬱病患者がそんなにデリケートなら、ネットなんてもってのほかでしょう。自分が居るべき場所に帰るべきです。ネットにいるのは鬱病患者ではなく、メンへラーです。

私が言う「メンへラー」は鬱病患者のことではない

多くの人は分かってくれましたが、私が言うメンへラーは「ほんとの躁鬱のひとじゃなくて、鬱だ鬱だと言い訳に使う人(id:stealthinuさん@?B)」のことです。メンへラーはそれを認めたくない人たちですから、当然私の文章が不愉快なわけです。

一見メンへラーを罵倒しているように見えるけど、本当は励ましているんでしょ?

違います。最初から述べているとおり、これは「ネタ」です。ただし私は「ネタはマジレスより重い」と思っていますし、全力でネタをやっています。少なくとも毒にも薬にもならぬ気休めの類をやるつもりはありません。

「ネタ」と言って逃げてるじゃないか

上述の通り「ネタはマジレスより重い」と思っているネタ師がネタから逃げてどうするのでしょう。私がどこかへ逃げましたか? 何から逃げるのでしょうか? あ、コメント欄の可読性を下げるのは避けたいので、id:KiDDYはコメント拒否してあります。これに関して何かありましたらどうぞ。

結論:メンへラーとは空気が読めない人たちである

前にメンへラーとはモラトリアムであると言いました。子供はその場の空気など読みませんし読めません。自分の感情のままに行動します。それが「子供らしさ」でもありますが、メンへラーの場合はそれを「子供の心を保った純粋な人」などと都合良く解釈します。
メンへラーに限りませんが、空気が読めない人には、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているからという基準で物事を判断している人が多いように思えます。それは全くの勘違いです。この世は「強いか弱いか」「勝ったか負けたか」で決まるのです。例として頻出ですが、アメリカは正しいから世界一なのではないのです。強いから、戦争に勝ったからなのです。国として最も重要なのは正しいことではなく、強いことなのです。
ではブログで最も重要なのは何でしょう。正しいこと?役に立つこと? そうではありません。「おもしろいこと」です。その本質が分かっていないから、私はメンへラーを相手にしなかったのです。メンへラーがどうして鬱だと思うのでしょう。それは彼らが人に相手にされないからではないでしょうか。空気が読めない者と付き合うほど、苦痛な時間はありませんから。
「空気を読め」私が彼らに唯一助言できることです。