新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

船での別れ



日本有数の離島を抱える鹿児島。港では、この時期、出会いと別れの風景があちこちで見られる。
フェリーには、徳之島や与論など離島に向かう教師を激励する横断幕がいくつも掲げられた。「先生! 私たちのこと忘れないでね」。拡声機を使って別れの言葉を述べたり、生徒たちが校歌を歌ったり。教員の夫とともに徳之島に渡る中玉利裕子さん(44)は「フェリーでの別れは、離ればなれになる寂しさが募りますね」と熱くなった目頭を押さえた。
港に蛍の光が流れると、たくさんの思い出を乗せてフェリーが水平線に消えていく。手を振りつづける姿がいつまでもやまない。
私も長崎五島から福岡に異動するときに、フェリー太古での別れを経験した。今とは違い携帯電話も無い、インターネットだって無い時代、離島での生活は本当に大変だった。新聞は「長崎新聞」以外は昼過ぎにしかこない。もちろん夕刊なんて無い。まともな本屋やビデオ屋は1軒しか無かった。私が読むような雑誌は当然置かれていない。「年間購読」ってのはこういう所のためにあるのだと知った。X68ユーザーだったので、当然ソフトも周辺機器も置いていない。通販が頼みだった。離島運賃がかからない運送屋が神に思えた。1日、いや1秒でも早くここから脱出したいと思っていた。
引越の日、軽トラ1台ちょっとの荷物で、早朝の荷出しだったので、自分と運送屋さんだけでやるつもりだった。それなのに何も言っていないのに手伝いに来てくれた。港へ着いたら、みんなが見送りに来ていた。「おなかすくよ」って弁当を持たせてくれた。紙テープも持たされた。とても恥ずかしかった。船が動き出し、テープがちぎれる。フェリーってのは意外と速いので、手を振るみんながあっという間に小さくなっていく。
初めて親元から離れ、とても不安な気持ちで港に降りたった私を迎えてくれたこと。メシや買い物の場所を教えてもらったこと。海水浴やウニ採りに連れて行ってもらったこと。正月には店が閉まってしまうので、日替わりで家に呼んでもらい御馳走になったこと。いろんなことが一気に思い出され、泣いた。しばらくして弁当を開いたら二食分入っていた。9時間近くの長旅だから、腹が減らないようにという気遣いだろう。泣きながら食った。「いいとこでは無かったかもしれないけど、いい人たちばかりだったな」と思った。
でも、博多湾に入って福岡のイルミネーションが見え始めたとき「やっぱこっちだよな」と思った(笑)

おまけ

それでも五島ではテレビは民放4局しっかり映った。あれから16年の歳月が経ち、地上デジタル放送が始まろうかとしている今、陸続きのはずの宮崎では未だに民放2局だ。


宮崎県のテレビ事情は全国でも一、二を争うほど悪いとされている。このため、衛星放送加入率が全国で最も高い。また放送開始は遅く、放送終了は早い(午前0時台に放送終了の場合もある)。
鹿児島県に近い地域では鹿児島の民放、大分県に近い地域では大分の民放も視聴できるが、大半の地域はケーブルテレビに加入しなければ、県内の民放2局しか視聴できない。(最大都市である宮崎市内では他県の電波はまず受信できない。)
宮崎は「陸の孤島」だが、「電波の孤島」でもあるのだ。