新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

サッカーデンマーク代表の「いただきます」

「いただきます」の話をもう少し。2002年サッカーワールドカップのときのエピソード。W杯という世界的なイベントを「おらが町のおらがイベント」に引き寄せるのは、こういったことなのだ思う。


デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後、支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた。「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい、聞いておきたいことがあった。彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった。それは食事の問題であった。
ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった。食事が口に合わない…それが原因ということだけは避けたかった。他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた。「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を言われたという事を彼らは聞いていた。支配人は「こういったトラブルだけはどうしても避けたかったんですよ。だから最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って、挨拶にいったんですよね」と言っていた。
その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた。そして通訳を介し聞いた。
「食事で何かご要望とかはございますか?」
するとオルセン監督はこう答えた。
「一切お任せします。そちらが用意される料理を我々はご馳走になります。」
この言葉に驚いた支配人とコック長
「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」
「和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事もそちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している。全てをあなたたちにお任せします。」
「あの〜〜他の国とかのホテルにお聞きすると、食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして…」
この言葉にオルセン監督はこう言った
「他国は他国、我々は我々です。」
さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、こう言った。
「和歌山で有名な食材は何ですか?」
この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた
「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」
するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った
「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください。あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」
この言葉にコック長は大変感激した
「世界の代表監督が、あんないい人だったからね〜〜。いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」
この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった。選手たちも同様だった。
最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた
デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが、日本では食事始める時に何かするんですか?」
デンマークは国民の9割がプロテスタントであり、神への祈りを終えてから食事を始める。この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである。
これに答える通訳
「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど、たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」
すると彼は「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた。
これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った。
その言葉に彼は顔の前まで手を上げる。
「そうそう!」と答える通訳。
そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた。それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた。この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち。
コック長は言った
「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに、外国の人にあんなことされたらね〜〜むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と…
AA版『デンマーク代表とトマソン』もいい味出してておすすめ。
以下Web1.2なオッサンの愚痴
気が付いている人もいると思うけど、『「いただきます・ごちそうさま」こそ日本文化そのもの』で、わざわざ「毛唐」って言葉を使ったのは、この手のURLが貼られることを期待してたんだよね。でも、結果はこの有様。やっぱりブログはぬるくて薄いのかなぁと感じた。
もしこれがてらゆかだったら、どんどん話が膨らんでいったと思うし、わざわざ「死ね」に突っ込むようなイノセントな人もいなかったと思う。突っ込むところが全然違うだろうと。まぁ、もちろん彼らはてらゆかもてらじも知らないし、ここはてらゆかじゃない。これはタダの愚痴だ。それでもやっぱり「ブログ」だの「Web2.0」とか言ってもこの程度なのかなぁ、とちょっとがっくりしたのも事実。mixiとかはもっとひどいみたいだし。
「疑問に思う」ってことが出来ないのかなぁ。「何でだろう、どうしてだろう」って考えないんだろうか。「行間を読む」なんて死語になっているのだろうか。その頭は飾り物?