新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

未来を殺しているのはベテランの老害かもしれないという自戒

前の話ゲームは死なず、ただプレイヤーは消え去るのみ。で、「ゲームを殺すのは?俺かな?」って言った。これは「うるさ方のジジィゲーマーが古き良き時代にしがみついて未来を縛っているのでは?」といつも思っているからだ。

熱狂的なファンに振り回される名車「スカイライン

日産が世界に誇るGTカーに「スカイライン」がある。名車中の名車と言っていいクルマだ。ファンの中にはずっとスカイラインを乗り継いでいる人も少なくない。そんなクルマなものだから、新車が出るたびに文句を付けられる。「丸目テールこそスカイライン」「サーフィンラインが…」「直6以外認めん」「4ドアの箱だからスカイラインだろう」「2ドアクーペに決まっとる」「大人4人乗れてこそ」「それだと太っちゃうんだよ」etc.etc… そんなスカイラインの迷走っぷりは「Wikipedia:スカイライン」でも見ることが出来る。これはユーザーもメーカーも「スカイライン原理主義」にこだわりすぎたからに他ならない。

こだわりゲーマーのせいで衰退したX68000

その昔X68000というパソコンがあった。当時としては超高性能で、業務用ゲームをそのまま移植できるほどの力を持っていた。しかし画面解像度の違いなどから全く同じに出来るはずもない。それをアレンジしただけで「完全移植じゃない」と批判される。逆にPC-88/98などからグラフィックをそのまま持ってくると「ベタ移植」と批判される。X68000の衰退はこういった「こだわり」ユーザーのせいもあったと思うのだ。

こだわりゲーマーがゲームを殺してしまう?

私はナムコ黄金期のゲーマーで、X68000ユーザーという、もう最悪クラスのうるさ方だ。いつまで経ってもゲームは「作品」だと信じていて「商業主義」を受け入れようとしない。スグに「大事なのはゲーム性で、グラフィックなんて飾りです。エラい人(ry」なんて言い出す始末だ。そんな時代はとうに過ぎ去ったことを認めようとしない。最悪の原理主義者だと思う。
言っているのは間違っていない。欠けているのは寛容性だ。名作ゲームを1本世に出すためには、100本、1000本のクソゲーで稼いだカネが必要なのだ。そう思えばクソゲーを連発するメーカーにも、提灯記事ばかりの雑誌やライターにも寛容になれるではないか? でも自分がクソゲーをつかまされたら? そんときは頭の上に載せて踊るさ(c)べーしっ君