新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

はてな:31歳の従弟が肺ガンで後1ヶ月です。あなたならどうしますか?

おとといYenさんに気象台を案内している時に連絡があった。頭が真っ白になったので、せっかくだから真っ白にしたままYenさんとお酒と食事を楽しんだ。
だが「神様はいるか」という話になった時は、ムキになって否定した気がする。だって神様なんていやしない。それとも神様を信じないから、大切な人を失うのか。
23日は夕方まで宮崎で遊んでYenさんに空港の中を案内するつもりだった。中毒さんの所で寝ようとしたが、従弟の事で目が冴えて眠れない。4時前だったが鹿児島に戻ることにした。高速でちんたら走ってると、余計なことが浮かんできて危ないので、あえて山道を走った。配送のトラックが100キロオーバーで疾走する夜明け前の10号線を、ただひたすら走った。
なんとか1日で仕事を片づけて今日は見舞いに行こうと思ったが、どうしても外せない仕事があったので、結局行けずじまい。休みが取れた他のいとこ達と妹が見舞いに行った。咳き込みながらも会話は普通にできたそうだ。
死んでから葬式に行くより、ちゃんと話ができる時に会った方が100万倍もいいに決まってる。でも何を話すのだ? 私は何を話すつもりなのだ? 何を聴くつもりなのか? いや、聴きたいことはわかってる。「後1ヶ月で死ぬというのはどういう気持ちなのか?」本当に聴くつもりか? 聴けるのか? 聴く器があるのか?
わからない。会ってどうしたらいいのかわからない。浜松にいる従妹は「見舞いに来て欲しそうだった? それとも会いたくなさそうだった?」と様子をうかがった。多分彼女も、死という圧倒的絶望の前に、どうしていいのかわからないのだろう。
看護婦をしている従妹に電話をしたら、まだ伝わっていなかったので私が伝えた。淡々と、ただ事実だけを伝えた。前置きも無し。慰めの言葉も無し。でも私が一番誠実だと思った方法で。だってそんなのを口にするのは私ではないから。看護婦という人の生き死にに寄り添う仕事をしているのだから、大丈夫だと思っていたが、電話を切る際には泣き出してしまった。やはりデリカシーというものが無かったのだろうか。
彼は私に会いたいのだそうだ。私に会いたいのだ。私とは何だ? 病人、いや死に行く者にいたわりの言葉をかけるような人間か?私は。違う。そんなのを言うはずがない。傲慢で、傍若無人で、抜け抜けと、ズバズバと歯に衣着せず、言いたいことを言うのが私だろう。
だったらやはり、病室に入っての第一声は「よう! 死ぬんだって? どうよ?」かな。

追記:26日14時半頃亡くなったそうです。