新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

批判は人を育てるか?

山田ズーニー『おとなの小論文教室。』Lesson153 優しさの芽生え
はたして批判メールは、私を育てたか? 答えは、NOだった。拍子抜けするくらい、何も生んでいない。これは、自分にとって予想外の結果だった。
そして、これを書くと反発する人は多いと思うが、批判メールの内容は、ほんとうにつまらなかった。あとから考えると、誤読だったり、視野が狭かったり、一方的だったり、論点が平板だったり、根拠がなかったり。どうして、こういうメールに、長時間、まじめにとっくみあったのか、と思う。
それは、時間の無駄ですむロスではなかった。いやなストレスを溜め込むし、せっかくよい問題提起のあるメールをくださっている読者とはればれと向かい合えない。つまり、今日を生きるのに遅れる。
もっともロスだとおもったのが、数日間、「自信」を失うこと。これが本当にロスだった。その間、新しいアイデアを積極的に試していこうという勇気が縮こまるし、感情的な抵抗があって、みずみずしい発想自体がわいてこない。
『Dr.森川の人間風車』最大の危機
常々、「人はほめられて伸びる」ものだと思っている。叱るだけでは、人を弱く硬く小さくしてしまう。そして、失敗しないだけの人間を作ってしまう。と思っている。逆に、ほめてほめて、木に登るくらいほめて、そして行っては行けないところまで行ってしまったときだけ叱る。それくらいがいいと思っている。
最近、ぼくらは怒りと不満と不安のメールばかりを受け取っている。しかたがない。HPの「不具合の問い合わせ」フォームから送られてくるメールだから、お叱りのメールしかこない。しかも、その内容はだいたいは、「ごもっとも、すみません」と納得のいくものばかりだし。
自分たちで言うと微妙なのだけど、しかし、これはいけない。お叱りメールがいけないのではない。それしか届かない仕組みがよくない。例え99のお叱りをいただいても1のお褒めをいただくと、人間けっこうやっていけたりする。ひょっとしたら、お叱りの100倍のお褒めの言葉が存在しているのかもしれないが、残念ながら、その言葉が届く仕組みがない。
前者だけが毎日、毎日山のように届くと、心の「体力」がどんどん奪われていく。理屈でわかってても、納得してても、僕らに関係ない問題であっても、無視やたえる強さが必要なのを自覚してても、同様に、ほめてくれる人もあるんだろうなぁとは想像してても、ダメージは少しずつ蓄積されていく。