新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

ネットワーク道を極める

 インターネットを使った青酸カリ服毒自殺事件、それに続く伝言ダイヤルを利用した睡眠薬による昏睡強盗事件。特に「伝言ダイヤル」は、利用者が10万人とも20万人とも言われ、その利用者の多さと、出会いの安易さに、世間はびっくりしているみたいだ。

 「どうしてこんなに無防備に、知らない人間と会ってしまうんでしょうか」「初対面の男の車に簡単に乗ってしまうのはどういうことだ?」「初対面の男から渡された薬を飲むか?」こんなことをワイドショーの司会者や、そこに登場する文化人が議論していたっけ。

 私は、パソコン通信を始めてかれこれ10年になる。この10年の間に、通信上で知りあった顔も知らない男に、たぶん200人以上は直接会っている。去年も、青森に旅行する際に、ネットの書き込みで知りあった27才の青森の男性と白神山地までドライブした。

 その男性は、わざわざ八戸から初対面の私を青森のホテルまで車で迎えに来てくれ、白神ラインを走って弘前まで、という驚異的な距離を運転してから「明日、仕事だから」と八幡平を越えて八戸に帰って行った。

 パソコン通信というものを知らない友人は「信じられない」と言う。「なんで初対面の人が下心もなく、そんなすごいことやってくれるわけ?」と言うのだが、なんでと言われても答えに困る。そういう世界なのだ。

 チャットでしゃべっていて、福井の男が「俺んちの近所に、すごくめずらしいかき氷屋があるんだよ」と言う。それで、その足で福井までかき氷を食べに行ったことがあった。

 

●ネットワークの世界にも「関係性の修練」がある

 通信上で10年間も飽きることなく遊んで、今は自分でフォーラムまで主催している。友人の半分はネットで知りあった人間だ。日本全国に知りあいができた。どんな場所に行っても呑み友達がいる。インターネットが普及してからは、それが世界まで広がった。

 というようなことを言うと「すごーい」と感心されたりするのだけど、10年もやっていると、もう感覚が麻痺しちゃっているのか「すごい」とも思わなくなってしまった。私にとってネットワークの世界は日常であり、すでにヴァーチャルですらないのだ。

 よくネットの世界の関係を「希薄な人間関係」みたいに表現する人がいるけれど、私はネットワークの世界を、現実の人間関係の定規で計ってしまうのは違うなあ、と思っている。ネットワークの世界も現実の人間関係と同じように「関係性の修練」みたいなものがあるのだ。ただし、それは現実の修練方法とはちょっと違う。

 始めてパソコン通信を始めた頃、つまり10年前。チャットで複数の人と画面上で会話した時は感激だった。こんなに簡単に見知らぬ人と話ができるなんてすごいと思った。毎晩朝までチャットにはまった。

 同じ時間に同じ人間がそこにいる。急激に仲間意識が深まった。そのころはまだパソコン通信の黎明期で、通信をやっているというだけで秘密クラブのような仲間意識が生まれていた。

 それに当時はアクセス数が少なく、仕事でパソコンを使う少数のネットワーカーしかいなかった。有名企業や有名大学の理系のエリートみたいな男性や、お医者や、パソコン関係者が多くて、ふだんそういう「頭のいい理系の男性」と知りあう機会のなかった「文系」な私は、「東大医学部」なんて聞いただけで「きゃああっ、すてき!」と色めきだっていたのだ。

 私は最初、ネットワークの出会いがおもしろくておもしろくて、手当たりしだいにオフに出ては、ネットで知りあった仲間と会っていた。週3日くらいオフをやって呑んでいた時期があった。で、気に入った男がいたら速攻でつきあってみる、という節操のないことを2年くらいやっていた。

 おもしろかった。だっていくらでも、湯水のように相手がいるわけだから。まさに、今、顰蹙を買っている「初対面の男にくっついていく女」状態である。

 チャットのオフというのはグループ交際が基本なんだけれども、一度グループで会っても、気に入った男がいたら2度目からはツーショットだ。もちろん、職業とルックスはチェックする。この辺は伝言ダイヤルより手間がかかるが、はずれは少ない。

 当時はバブル期でお金もあったし、もうやりたい放題遊びまくった。あの頃、まじめに貯金しておけば今ごろマンションくらい買えたのになあ、と思う。

 

●たったの1行の書き込みから、相手の性質を察知する

 チャットというのは文字言葉文化だ。パソコン通信というのは、文字コミュニケーションの世界なのだ。その世界で狂ったように遊んでいると、だんだんと「文字言葉の使い方」というのを学習する。人間は自分がのめりこむ好きなことに対しては、驚異的な学習能力を発揮する。

 で、私は1年もしないうちに「たったの1行の書き込みから、相手の性質を察知する」という能力を身に付けていた。つまり、ハンドルネームのつけ方、助詞の使い方、顔マークの使い方、微妙な言い回し、句読点の打ち方、そういう「言葉の使い方」から、相手のタイプを直感的に察知するのである。人間には、こういうものすごい能力がある。

 これは、たとえれば人間は「顔」を認識するのと同じようなものだ。顔ってのはみんな「目と鼻と口」がある。考えたら構造的にはどれも似ている。でも、人間はこの「顔」の個別性を認識するでしょ。それと同じように通信上では「一行の言葉」から相手を読むのである。

 これは何も、私の特別な能力ではない。長年パソコン通信をやっている人なら誰でも培われる。「なんかあの人、ちょっと危ないよね」という人間の書き込みは、1行で感じるのだ。もちろんハズれることもあるけど、このカンを信じていれば間違いはない、という奇妙な確信が私にはできた。

 インターネットでメールをもらう場合も、似たようなことがある。書いた文章というのは、確実に書き手の特徴を反映してくる。たくさんのメールを読んでいると、それがカンでわかるようになってくるのだ。

 もちろんハズれる時もあるが、この「言葉から受ける印象」というのを、私は非常に大切にしている。そしてちょっとでも「ザワザワ」した感じがある時は、その相手には近寄らない。

 このザワザワした感じ、というのを言葉で説明するのは難しい。例えば、それは草むらで薬草を探すような感じだ。草むらを見渡すと、自分の探している草の部分が「ザワザワ」した感じに映る。目をこらすとそこに薬草がある。修練を積むと簡単に薬草を見つけることができる。でも慣れていないと目は薬草を見落とす。

 私の友人に、伝言ダイヤルにはまっている人妻がいる。奇しくも、彼女も同じことを言っていた。「私ね、伝言ダイヤルに一番はまっている時に、もう1万件くらいの伝言を聞いたのよ。それでね、だんだんと伝言の10秒のメッセージを聞いただけで、こいつは大丈夫、こいつはダメっていうのが把握できるようになっちゃったのよ」

 この人妻は漫画家である。非常に鋭敏な感性をもっていて、しかも音楽に造詣が深い。たぶん彼女は「音声メッセージ」に対する修練を積んで、そしてついには「音声によって相手を判別する」という直感を養うに至ったのであろう。

 「でさ、そのあなたのカンでいくと、こいつは〈大丈夫〉っていうのは、どういう男なわけ?」「うーん、私の基準ではね、とにかくマトモな男。つまり会うのにセックスを目的としてるのじゃなくて、お互いに理解して楽しい時間を過ごせる相手を探そうとしている男ってことね」

 「そんな奴が、伝言ダイヤルにいるの?」「200人に1人くらいはいる」「で、あんたはその200人に1人を見つけるために伝言ダイヤルを聞いているわけ?」「そうだよ。だって私は亭主いるし、欲しいのは心の恋人なんだもん」

 現実の人間関係でも、だまされることはたくさんある。いい男だと思ったのにつきあってみたら体目当て。いい人だと思ったのに、選挙が終わったら連絡も来なくなった。なーんてことザラにあるでしょ。

 それと同じで、ネットワークだって、伝言ダイヤルだって、自分が目指す相手と出会うためにには「修練」というものが必要なのである。それは、普通の人間関係とは若干違うが、修練であることに変りはない。

 その人妻は月の電話代が20万を越えたことがあったと言う。私もパソコン通信のつきあいには1千万くらい投じた。なにしろ10年だからね、はははは。

 

●男漁りの修練を積むと、後の人生に役に立つ

 新しい世界には「新しい世界を渡るための処世術」が必要だ。それはどんな世界にも言える。伝言ダイヤルでも、インターネットでも、パソコン通信でも然りだ。現実の社会と同じように、その世界のことを見極め、自分のカンを研ぎ澄ますことで危険を回避し、そして、自分が学習するために投資を惜しまず、ちょっとのことでめげず、おもしろがって遊ぶ。

 この世界には「危険じゃない場所」なんてない。だからこそ、おもしろいとも言える。

 ずいぶん前の話だけれど、パソコン通信で知りあった男にストーカーされて困っている女の子を知っていた。女の子は通信初心者だった。「あの人はちょっと変だから、あまり関わらない方がいいよ」と忠告したのだけれど、通信を始めたばかりの子は自分がちやほやされると舞い上がってしまって、誰にでもいい顔をしたがる。

 「パソコン通信をやって、始めてこんなに男の人にモテた」という子がけっこう多い。通信の世界では男の数がまだまだ多いので「ちょっとかわいい」くらいでも十分スター扱いなのだ。舞い上がる気持ちはわかる。私もそうだった。

 そして自分が舞い上がっている時、人は往々にして相手に対して横暴に振る舞ったり、誘惑しては捨てて喜んだりする。そして最後にストーカーされて、それでも「きゃーストーカーされちゃった」と内心、自慢していたりする。

 女っていうのは、そういうかわいいというか、愚かというか、傲慢というか、そういう部分をもっている。特別なことじゃない。自分というものを社会的に確立する前、多くの女は「男に珍重される」ということに自分のアイデンティティを求めてる時期があるのだ。いい悪いではない、そういう時期を経て、大人になる。

 この時期に、いきなり伝言ダイヤルだとか、パソコン通信だとか、インターネットメールの世界にはまると、目覚めたように男漁りを始めてしまう。

 マスコミはすぐる「寂しい心」が女を男漁りに向かわせると言うけど、それがすべてじゃないよなあ、と思う。自己を確立して自分に自信をもって生きるようになるまで、女は不安だ。だって女って社会の若葉マークなんだもの。

 言い換えれば「おばさん」になるまで女は不安なんだ。そういう時は男に「いい女だ」と口説いてもらって安心する。私は安心したなあ、男が私を好きだと言ってくれると、辛い仕事にもがんばれたもの。まだ自分ってのがなくて、なんで仕事してるのかもわからないで、でもとにかくがむしゃらにがんばってた。

 そういう時期、本当にいくらでも男が欲しかった。男から口説かれてみたかった。でも、誰でもいいって訳じゃない。好みの男が必要なわけだ。

 で、この男漁りのために「修練が必要なのだ」と気づくタイプと、漠然とぶつかっていって痛い目に合うまでわからないタイプとに分かれる。多くの人は「どうもイイ男を探すにはコツがあるな」とカンづく。

 ところが、何ひとつ自分の頭で考えずに育って来てしまうと、この「コツ」というものを把握できなくなってしまうのだ。感性っていうのは、主体的に生きないと枯れるらしい。

 伝言ダイヤルの世界では「伝言のやりとり」というのを数回するらしい。そのやりとりを通して、相手の人間性を見極める。これはもう「修練」以外のナニモノでもない。

 こうした男漁りの修練は、積んでおくと後の人生に役に立つ。男を求める気持ちは強烈だから、女が男を見定める時の集中力というのは並大抵ではないのだ。この時に培った「人間を見る目」は、女の30代以降の人生に本当に役に立つ。

 だから私は出会いを求めるのは、女の性みたいなもんだし、それによって修練される「男を見る目」はとても重要だと思っている。男を漁らずに来てしまった女は、なんとなく面白味に欠けるしなあ。

 未知の世界にはリスクがつきものだ。そして、生きていくためには投資と修練が不可欠。今、それを知らない女の子が多すぎる。どんなにくだらないと思われる事にでも「道」はあるのだ。未知とは道を探す事に他ならない。ところがそのことを教わらないで大きくなる。やっぱり、茶道と華道くらいは、子供のうちから習わせておいた方がいいのかもしれない。

ネットワーク道を極める - MSN ジャーナル