新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

続:災害に見る日本とアメリカの違いと衆議院選挙

昨日、「災害の時、アメリカでは暴動が起きたり不平不満をまき散らしたりするが、日本人はまず感謝」ってなことを書いたが、もう少しテレビを見てみると、すこし考えが変わった。

行政を信頼していないアメリカ人

カメラに向かってその黒人はこう嘆いた。「何もかも失ってしまった。水も食料もない。生きるには盗むしかないんだ。」浸水した家から避難しようとしない住人は、救助隊に向かってこう言った。「どこに行ったって同じだ。どうせ助からない。ワシは避難しない。ココにいる。もう、あっちへ行ってくれ。」
この人たちは行政を信頼していないのだ。なるほど、自分らを5日間もほったらかして、我らが大統領は休暇を楽しんでいるわけだ。信頼しろと言う方が無理だろう。だが逆に行政に頼り切っていないところが、アメリカ人の良さでもある。次々とボランティアやチャリティが立ち上がり、「自分らのことは自分らでやる」といった力強い動きが始まっている。

行政に頼り切っている日本人

翻って我が国を見てみると、住民は行政に対し文句は言うものも、基本的には信頼している。というか頼り切っている。自らの生命に関わる決断を、お役所にゆだねている。その市町村は県に頼り切っており、避難勧告のタイミングを逸してしまった。県もやっぱり国に頼り切っている。

国家社会主義体制の日本

前にも書いたのだが、この国は近代で最も成功した国家社会主義体制にある。なんだって役所にやらせれば大丈夫。災害も、治安も、教育も、少子化も、景気対策も、全部国が面倒見てくれる。そのおかげで借金がふくれあがっているのに、それすらも国が何とかしてくれると思ってる。
国土交通大臣タウンミーティングで鹿児島にやってきました。市町村の首長が何を言ったか。「道路を造って下さい」「堤防を造って下さい」内閣と市民の直接対話の場で陳情だよ。
今、選挙やってて、いろんな政党が「地方分権」とか言ってるけど、地方自治体にその能力があるとはとても思えない。ふるさと創生1億円とかで、自由に使えるカネをもらっても、どう使っていいかわからなくて右往左往。そのころからちっとも成長していないのではないか。
優秀で強力な中央集権政府が、無知で蒙昧な国民と地方自治体をゆりかごから墓場まで面倒みているのが、この国の姿なのだ。選挙なんか行かない。たまに行けば、青島幸夫や横山ノックホリエモンに投票しといて「政治がダメ」って愚痴るのがこの国の有権者の姿なのだ。

頼りにならない国のモラルの低い独立独歩の国民と、頼れる国にべったり依存しているパラサイト国民

どちらが幸せなんだろうね。