新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

いきなり広い海に出なくてもいい

TERRAZI2007-02-20

今日、職場に水族館のボランティアが見学に来た。ボランティアするくらいだから、みんな魚が好きなんだろうなー、とか考え、ふと「さかなクン」を検索してみた。さかなクンは『TVチャンピオン』でおなじみの魚のかぶりものをかぶり、元気で明るく甲高い話し声が印象的のタレント(?)さんだ。Wikipediaによると現在の肩書きは東京海洋大客員助教授だそうだ。スゲー
そのさかなクンの3番目の検索結果の文章がとても素晴らしかったので紹介する。

 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

なんという良文。さかなクンの人柄が伝わる、実にいい文章だ。あまりに良い文章で切る場所が無かったので、全文引用することを許して欲しい。
が、あえてこの文章にケチを付けたいと思う。ったくやだねー、ひねくれ者ってのは。

「たいやきくん」は広い海に出ても「たいやきくん」

さかなクンも言うように、メジナは仲良く「群れて」泳いでいる。しかし厳しい自然の中で、群れを乱す者、危機に陥れる者は、やはり仲間に攻撃されるか、敵にやられてしまうだろう。狭い水槽に入れると、それが目立つだけなのだ。
さかなクンもあのキャラクターなので、いじめの対象になりやすかっただろう。それがならなかった、あるいはなっても大丈夫だったのは、ひとえに彼が「さかなクン」だったから、つまり自分に自信があったからに違いない。狭い世界ですら自信を持てない者が、大きな世界に飛び出しても、「たいやきくん」のように「やっぱり僕はたいやきさ」って事になるだけだ。

いきなり広い海に出なくてもいい

例えば、水族館のボランティアが、いきなりさかなクンが活躍しているような「広い海」に出て行っても、通用しない。逆に自信を無くしてダメになってしまうかもしれない。でも、水族館にいる魚のことはよく知っている。もう少し勉強して鹿児島近海の魚の事も勉強すれば、「狭い世界」ではあるけれど自信を持つことが出来る。そして次は日本近海、アジア、そして世界へと広げていけばいい。
別の広い世界に飛び込んで行くだけじゃなく、自分の周りの世界を自分で広げることでも、世界は変わるんだよ。