新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

作品の魂をパチンコに売ってしまうような権利者は死んでしまえばいいのに

前のコラム「ファンをないがしろにする著作権なんて死んでしまえばいいのに」で、ワシは松本零士が自分の作品への過度の愛情によって執着し、作品が自分の手を離れ一人歩きし、自分の意に沿わない形にされるのを恐れているから、異常なまでに著作権保護を訴えているのだと考えていた。
一昨日パチンコ屋の前を通りかかったとき、信じられないものを見た。

何なんだこれは。
銀河鉄道999は、少年が機械の体を欲して旅をしていくなかでの成長を描き、永遠の命ではなく限りある命だからこそ人間は努力するし、そうせねばならないと訴える。
宇宙戦艦ヤマトは、人類の存亡をかけたガミラスとの戦いを描きつつ、敵もまた母星の寿命が尽き、存亡の危機にあった事を悟った古代守に「我々は戦うべきではなかった。愛し合うべきだったのだ」吐露させ、戦争のむなしさを説く。
キャプテンハーロックは、腐敗した地球に見切りをつけて大宇宙に己の旗を掲げる宇宙海賊ハーロックを中心とする、スペースオペラである。
これらの名作といっていい松本作品の世界観と、パチンコの根底にある「楽して儲けたい」という精神構造とは到底相容れられるものではない。

権利が切れた後の作品の使われ方には危惧(きぐ)を抱くという。
「生きている間でも目を離すととんでもないことになる。死後になると、奇妙な解釈のものや変質したもの、続編が現れるでしょう」

産経ニュース

松本零士自身は、いったいどうやって整合をとっているのだろうか。結局のところ「儲かりさえすれば、作品の魂などパチンコにでも売ってしまえ」というようにしか見えない。彼が愛しているのは作品そのものではなく、作品が生み出すカネだけなのである。

「儲かればそれでいい」という考えはパチンコそのもの

この例に限らず、最近のパチンコはアニメやドラマのキャラクターを使ったものが多い。子供たちの憧れの対象であるヒーロー物も少なくない。中には「勧善懲悪」がテーマの水戸黄門すらある。この節操の無さはなんだ。「儲かりさえすればそれでいい」という意識がはっきり表れている。
そりゃー世の中カネだ。それは絶対だ。でも、アニメやヒーローの世界くらい夢を見たいじゃないか。ファンはそれを求めているのではないのか。ファンの夢をぶち壊す権利も著作権には含まれているというのか。お前らは夢を売ってるんじゃないのか? お前らの夢は「一攫千金」だけか?
作品そのものだけでは儲からないから、関連商品で儲けないといけない事情はわかる。わかるが、作品をぶち壊すような真似はやめてくれ。せめてパチンコだけはやめてくれ。それと松本零士は逝ってよし。

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