新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

ファンをないがしろにする著作権なんて死んでしまえばいいのに

はてなちゃん』の版権?

とてもかわいらしい『はてなちゃん』を描く『雑草姫日記』で「らくがき絵」と称し新作がアップされた。あー、もう! かわいいなあ! でも、しなもんがかわいすぎて、メスみたいだ。あ、なんか『めぞん一刻』の三鷹の嫁になるお嬢さんとこのポメラニアンに似てね? なんつったけ、えーと、ああ、そうそう「サラダ」。画像検索してもでてこねーや。誰かフォロー頼む。
っと、いきなり脱線しちまった。で、そのコメント欄でさとさんが

次の漫画に、その可愛いはてなちゃん出したいところだねぇ。でも版権があるからな〜。

って言ってんだよね。え?はてなちゃんに版権? 誰が持ってんの? km37さん? と思って調べようと思ったら、キーワードでまとめてあった。
加野瀬さん発案
うるるんが画像化・フリー宣言
km37さんのマンガで一気に広がる
はてなスタッフ公認
加野瀬さん「好きな様に料理してください」宣言(thx:sirouto2さんコメント)

んなもん、フリーでいいやんか。とも思うんだが、雑草姫はプロのマンガ家さんのようなので、それなりに慎重にせねばってとこか。この際だからはてなが代表として版権をとって「自由に使える」ことを保証すればいいのかな。しかし「自由」を「保証」ってなんか面白い。

パロディの是非は「量」より「質」で

「パロディー 試される文化の奥深さ」という産経新聞の記事で、『替え歌メドレー』の嘉門達夫、『IT業界パロディ路線図』のオリバー・ライケンシタイン、『ドラえもん 最終話』の同人マンガの例をあげ、パロディーへの理解・無理解が紹介されている。
パロディの是非を判断するのは難しい。『ドラえもん 最終話』が刑事告訴まで検討されている理由は「ネットで評判になり、部数がケタ違いに増えた」、つまり「売れたから」だ。では何故売れたのか。それは質の高い作品であることを高く評価されたからに相違ない。同人誌の多くがキャラクター同士のエロパロディを占め、全く評価に値しない。しかし極まれにその中から素晴らしい作品が生まれ、だからこそ、同人・コミケ活動が続けられているのだろう。つまり、パロディ作品への是非は本来ならば「量」ではなく「質」で見極められるべきなのだ。

銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』の松本零士

漫画家の松本零士が、著作権保護期間を70年に延長するべき根拠として、

作家は一生浪人、生涯孤独な存在。創作のために心血を注ぎ、自分のため、家族のために頑張る。頑張った成果はせめて子孫の代まで残したいもの。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/12/news063_2.html

などと述べ、他にも「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」などと発言し、ファンをがっかりさせている。
これらに対し唐沢俊一

低視聴率で打ち切りになったあのヤマトを復活させよう、と運動してムーブメントを盛り上げてきたのは、著作権無視してヤマトの同人誌作ってきた、各地方の純粋なファンたちじゃなかったのかよ。

http://www.shakaihakun.com/data/vol061/main05.html

とツッコんでいる。原作とパロディーは「持ちつ持たれつ」の関係だろうということだ。

松本零士=黒騎士ファウスト


そもそも『銀河鉄道999』は「『永遠の命』ではなく『限りある命』だからこそ尊く、人間は頑張る」ってのがテーマでは無かったのか。それを新たな作品も生み出さずに「著作権」という「機械の体」で「永遠の命」を求めようとは。
鉄郎の父である「黒騎士ファウスト」は、元々機械人間世界に抵抗し戦っていた。だが生身の命の脆さに絶望し仲間を裏切ってしまう。そして若き鉄郎に殺されるのである。ワシには松本零士がこの鉄郎の父のように思えて仕方が無いのだ。

ちなみにこのエピソードは、映画『スターウォーズ』のルークとダース・ベイダーのエピソードとそっくりである。「父と息子の対決」というよくある設定なのでパクリとは思わない。が、松本零士槙原敬之作詞の『約束の場所』の歌詞「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」に対し、銀河鉄道999での「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」という表現をパクったとし、謝罪を要求している。

作品は著作権者だけのものじゃない

この手の著作権騒動で最悪なのが、権利者と侵害者の争いの中、ファンがぞんざいにされてしまうことだ。『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』で宇宙への夢を掻き立てられた少年たちが、この松本零士を見ればどんなにガッカリすることだろう。
ガッカリだけなら、まだいい。マンガ『キャンディ・キャンディ』は原作者と原画者の著作権争いの末、絶版になってしまっている。また、アニメの方も著作権が切れる2049年まではファンは見ることが出来ない。日本はもちろん、世界中の少女を夢中にさせた作品が、いまやこんな現状なのである
確かに著作権は大事だ。作家の権利を守るために。でも、本当に守られるべきは作品そのものであり、その作品を楽しみにしているファンの権利ではないか。そういったファンの気持ちを考えず、自らの権利だけを主張するような者は、たとえ原作者であってもそんな権利を行使する資格はない。ファンをないがしろにしてしまう著作権など、無くなってしまえ。