新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

特別であること。普通でいられないこと。


「大人になる」ということは、偶然性の世界を受け入れ、自分が特別でないことを受け入れていくことである。これは、つらいことである。だから多く人はこの強度に耐えるために、誰かを愛するのである。恋人、子供のために、働き、生きていかなければならない。恋人、子供にとっては、ボクは特別なのだ、ということだ。
(中略)
若者は野心的である。世界は偶然性と簡単に割り切れない。自分が特別であるという「可能性」を信じて、愛する人のためでなく、自分のために、懸命に偶然の世界へと乗り出していくだろう。そして引きこもりも、外見上社会からは脱落しても、その野心は他の人とかわらない。彼らは単に無気力なのではなく、「特別でありたいが、どのように特別であるのか、どのように頑張ればよいかわからない」のである。
とてもわかりやすく優れた考察だと思う。自分の頭の中でうまく言語化できなかったものを、ズバッと指摘された感じ。スッキリ。

特別であること

私の友人にも一人ひきこもりがいる。でも、彼をどうこうするのはもう諦めた。彼はこの文章のようにプライドを持っているわけでも、特別でありたいとも思っていない。どうにもならない、温厚なクズ人間だ。
逆に私は「特別であろう」と常に意識している。自分が特別ではない事を受け入れられないわけではない。自分が「普通でいられない」ことを知っているからだ。何か特別な能力を持っているわけでもなく、かといって地味な作業をコツコツとやることもヘタクソ。周りに合わせてやっていくこともできない。小学生の時、授業参観に来た母親が家に帰って私に言った。「どうして、みんなと同じにできないの?」人と同じにできないなら、人と違うことをすればいいじゃないか。小学5年生の私はそう考えたのだろう。
人と同じにできないのならば、引きこもりになる可能性は高い。でも今の私は違う。何故か? 「人と違う」ことを武器にするには、人の中にいなくてはならないからだ。引きこもって一人でいたら、人と違おうが同じだろうが、のたれ死ぬだけだからだ。

猟師に狙われた水鳥の群れ

ボクらは池の上で生活する水鳥の群れだ。飛ぶのがうまいヤツ、潜って魚を捕るのがうまいヤツ、羽繕いがうまくてモテるヤツ、いろんなヤツがいるけど、ボクは何をやっててもダメ。ある日、猟師が池にやってきて、鉄砲を撃った。みんなパーっと飛んで逃げたけど、鈍くさいボクは飛び立てなかった。死を覚悟した。でも、猟師は飛んで逃げた方を狙って撃ったんだ。ボクは助かった。そして鈍くさいボクでも生き残る方法を見つけたんだ。

混沌とした状況・時代だからこそ生きていける

一斉に飛び立って逃げた方が生き残る確率は高い。でもその中で一番遅いヤツは撃たれてしまう。飛び立つのが遅いなら水に潜ればいい。人が普通にできることをうまくやれないなら、人と違う知恵と工夫で切り抜けるしかない。
ただし平時では、やっぱり普通のことをうまくできるヤツが強いに決まってる。でも今はカオスの時代だ。知恵と度胸さえあれば、なんとかなる。事実、私はネット混沌期をそうやって生きてきた。はてなmixiRSSも無い時代だったからこそ、何の能力もない私がネットで活動できたのだ。
ネットはどんどん平静化していっている。私のような人間は住みづらくなってきた。次に台頭するのは混沌を自ら作り出せる人間だろう。えっ、それって猟師のこと?