新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

「くずれ」ない行き方

「学者くずれ」とか、「作家くずれ」とか、
世に「くずれ」という言葉があるけれど、

この、「くずれ」って何?

いやな言葉だけれど、「くずれ」というのは、
どこかで、その夢をあきらめた人のうち、
どこかで、その夢をあきらめきれなかった人、
だと私は思う。

そして、「くずれ」た人は、
ほんとうは、その夢をあきらめてはいけなかった。
追い続けるべきだったと、私は本気で思う。

ところが、「くずれ」と言われる人は、
時が経っても、消えない、強い「想い」がある。
「想い」が消えないのは、
どこかで、「自分は負けていない」という
自分の能力への自信が断ち切れないからだろう。

人一倍の想いや能力をもった人が、
なにかのはずみに、
進むことも、方向転換することもできず、
なにか、人や社会に対して、
怨みなどの、ネガティブな想いに
深く深くとらわれていって、方向性を見失っていく。
そういう「くずれ」という危険性は、
どんな分野の、だれの中にも潜んでいると思う。

山田ズーニー『おとなの小論文教室。』Lesson167「くずれ」ない行き方

彼女の言う「くずれ」なら、結構見かける気がする。2ちゃんねるスラッシュドットで『粘着』と呼ばれる人たちも、実はこの「くずれ」じゃないんだろうか、と思うことがある。
かくいう自分も、以前はネットワークやコミュニティに強い関心と愛情を持っており、現在は『deblog』のようなblogを揶揄するようなタイトルが付いた文章を書き散らしている。「ブロッガーくずれ」とでも言おうか(笑)