人間関係を布切れに例えた話二つ
作詞家の松本隆さんがTwitterでこんなことをつぶやいていた。
布は横糸と縦糸がきっちり編みこまれていると、破れにくい。人間関係も同じで、横糸=友人、サークル、同僚etc 縦糸=師弟、先輩後輩、上司部下、のはずだが、最近は行き過ぎた個人主義で縦の関係が弱くなった。ましてニート、ひきこもりで横まで希薄だと、社会がこんなに脆くなるのも当然だ。
ちょうど同じころ、歌手の加藤登紀子さんも同じようなことをラジオで話していたらしい。
布にたとえるとよくわかる!@AMR033VO: @takashi_mtmt さんが、ちょうどこんなツィートをされてました。 → 布は横糸と縦糸がきっちり編みこまれていると、破れにくい。人間関係も同じで、横糸=友人、サークル、同僚etc 縦糸=師弟、先輩後輩、上司部下、のはず …
横のつながりと縦のつながりが希薄になると、社会が脆くなると。なるほど。
いじめとはシーツによった「しわ」のようなもの
2000年か2001年頃、作家の田口ランディさんが書いた『いじめってなんだろう?』というメルマガが未だに強く印象に残っているので紹介したいのだが、バックナンバーが消えているので、一部抜粋する。
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Q「あのさ、いじめって何だと思う?」
A「いじめ?」
Q「そう、いじめ」
A「そうやなあ、いじめってのは皴(しわ)だな」
Q「皴?」
A「そう。関係の皴」
Q「どういうこと?」
A「つまりな、人間関係ってのは、みんなでデカいシ−ツの端っこを持って歩いているようなもんなんや。だけどときどき、そのシ−ツに皴が寄ってしまうんよ。その皴の寄ったところを持っている奴が、いじめられるねん」
Q「シ−ツはいつもピンと張ってなきゃいけないわけね?」
A「そうそう。だからみんな突っ張って力を入れてシ−ツを持つんよ。だけど、あんまり力を入れ過ぎると、自分がシ−ツを引っ張りすぎてみんなの手が離れてしまう。ダレていると皴が寄ってたるんでしまう。そやけど、シ−ツを持って歩くというのはすごく難しいさかい、どこかに皴は寄るもんなんよ。でな、当然のことながら、力の弱い奴のところに皴は寄りがちやねん」
Q「でもさ、なんでみんなシ−ツなんか持って歩いてるの?」
A「知らん。誰かが教えたんやろ、これ持って歩きなさいって」
Q「シ−ツなんか持ってたら歩きにくいじゃん」
A「そうや、おっしゃる通り。けど、持ってると楽やねん」
Q「なんで?」
A「持ってる方がかたまりやすいやろ?だからみんなシ−ツに寄ってくるんよ。もう入る余地がないほど人が群がってるシ−ツに、無理やりねじ入って、片手でもいいからシ−ツを掴んでいたいって思うんよ」
Q「なんか、うっとおしい」
A「ほんまにうっとおしい。うっとおしいから、シ−ツを切り裂きたくなる奴も出てくる」
Q「それが犯罪者になると?」
A「そうは断言できんけどな」
ランディさんはこのコラムの最後を「子供にはいじめにあったら『シーツを手放して一目散に逃げろ』って教えたい」と当時締めくくっている。
シーツは常にピンと張った状態である必要はない。その状態は皆しんどい。しんどかったら一旦手を離してもいい。ところが、そのシーツそのものがバラけてしまい、今度はしがみつく拠り所すらなくなってきてしまった。
それが今の日本の社会なのだろうか。であれば、我々はどうすべきなのだろう。