新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

新聞もテレビも厳しく「落書き」される時代になったのだ

楽しみにしている、メールマガジン『萬晩報』で、新聞という旧メディアがいかに時代遅れの感覚であるかが、よくわかるコラムが掲載された。

 民放TVのワイドショーの定番コーナーになっているのが、「新聞読み聞かせ」である。テレビ朝日の「やじ馬新聞」に始まるこのコーナーは、著作権を侵害される立場にある新聞業界が放送中止を求めないのだから、新聞、民報TV業界間には不思議な「互恵」関係が成立しているのだろう。
 筆者も、新聞読み聞かせコーナーをやめろとは言わない。短時間で記事のさわりが分かるのだから、これほど便利な「ツール」はない。ヤフーなどインターネット・ポータルサイトのニュースコーナーも、これの発展系と理解することもできる。
 しかしである。どうにも納得できない新聞読み聞かせコーナーがある。TBSの朝のワイドショーみのもんたの朝ズバッ!」のそれである。
 他局のワイドショーとの決定的な違いは、新聞紙面と記事への「敬意」のあるなしである。他局では、紹介する記事を赤色で縁取ったり、赤線を引いたりしているが、それ以上に紙面をいじることはない。いわば、ネタ元である紙面と記事を丁重に扱っている。
みのもんたが、あの香具師的な仕草と口調で紙面を紹介することまでは許せるが、みのは太い赤色のサインペンで、ボードにはりつけた紙面に強くアンダーラインや丸印を書き込む。その所作は、乱暴、乱雑としか形容できないものである。まるで、紙面に落書きをするようである。
 乱暴、乱雑に引いたラインや丸印のついた記事や見出しは、取材記者や整理記者だけではなく、数多くの新聞社の社員の業務によって成立しているのである。
 ちょっと品は悪いが、あなたに合わせて言います。「モノを粗末に扱う人間にろくなヤツはいない」。これは、日本に昔からある格言です。

みのさん、新聞に落書きはやめて

以上のように、1643文字のコラムを576文字と、1/3に切り刻み、TERRAZINEはフォント弄りサイトではないので色は付いていないが、強調させてもらった。これはどのような文章を引用するときでも、同じである。

コンテンツをそのまま紹介するのはコピペブログと変わらない

成田氏は、自分が書いた記事を、アンダーラインや丸印で強調し紹介されることを「乱暴、乱雑な落書き」と感じているようである。
アホか。
新聞記事に限らず、あらゆるコンテンツは送り手から離れたときから、受け手の手によって切り刻まれ、落書きされるのだ。これは瓦版の頃から変わっていないだろう。それが受け入れられないならば「朝ズバ」への提供を中止すれば良いだけのことだ。

新聞は取材対象を「商売の道具」にしていないのか

TBSとみのは、新聞という商品の最終消費者ではない。新聞を商売の「道具」にしているのである。

取材される側から言わせてもらうが、マスコミから取材を受けた際、こちらが伝えて欲しいことがそのまま記事になることは、まず無い。当然だ。新聞は新聞社が伝えたいこと*1を記事にするのが仕事だからだ。例え、こちらが1日かけて用意した資料を半日かけて説明したものが、わずか3行の記事や5秒のビデオになったとしても、それは受け入れなければならない。
それだけならまだしも、言ったことと全く違う内容に歪曲されてしまうことも、少なくない。また、竜巻の取材に来ているのにもかかわらず、竜巻の定義すら予習してこない記者に、取材対象への「敬意」を感じることなど不可能だ。だからこそ、最近は記者会見をせず、ブログで公式発表する著名人が増えているのだろう。

新聞もテレビも厳しく「落書き」される時代になったのだ

新聞はこのように落書きされたり、切ったり貼ったりのスクラップをされるが、テレビではそれが無い。しかも新聞は誤報があったら叩かれるが、テレビはすぐに流れて忘れられるから、それもあんまり無い。テレビはいいよなぁ。

なんてことを思ってたりするのだろうか。確かに一昔前まではそうだった。ワイドショーなんて録画してまで見る者は居なかったからだ。
でも、今は違う。全チャンネル24時間録画できるHDDレコーダだって、そんなに高い金額ではない。そして、それがYouTubeニコニコ動画にアップされる。強調したい部分だけを抜き出したり、何度も繰り返したりの編集がなされる。ニコニコ動画ではさらにそれに辛辣なコメントが付き、MADビデオ化される。
もはや、ありとあらゆるコンテンツが勝手に「落書き」される時代になったのだ。

モノを粗末に扱ってはならない。が、情報は乱暴に扱うべきだ。

前述の通り、マスコミは「一次情報元」を粗末に扱っている。それで居ながら、単にその情報を編集し伝えるだけで「敬意を払え」と抜かす。恥知らずとしか言い様がないし、情報というものを全く分かっていない。
情報というものは、乱暴に扱うべきなのだ。
全ての情報がフィードで出力され、そうでないものはplaggerYahoo! pipesなどで強引に出力される。そしてそれは乱暴にマッシュアップされ、さらにはグリモンやuser.jsで受け手が望む形に改造される。
ブログに引用され、各々の考えを書き加えられる。ソーシャルブックマークで[これはひどい]とネガティブコメントが付く。他の記事と勝手に比較され検証される。面白い記事は勝手に翻訳され、筆者の手の届かない場所で勝手に議論される。
これが現在の情報のあり方なのだ。
「本に書き込みもせずに、綺麗に扱う人間にろくなヤツはいない」
これは、日本に昔からある格言です。

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中国とチベットの問題が、中国国内とそれ以外ではどう報道されているかを検証したものを、日本語に翻訳。さらにはそれを機械翻訳したものを英語圏の人間がコメントする、という、まさにブログならではの「乱暴」な情報の扱い。最高である。

*1:読者が欲する記事ではない