新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

病人は弱者ではなく、生への挑戦者なのだ。

<前:「生きる」ってね… 真剣なんです。

2001年12月9日

昨日は12月8日。真珠湾攻撃が始まった日です。「聖戦」とする友人が叫びのmailをくれたのですがその彼女は私と同じ世代の21歳なわけです。「かっこいい」から政治団体に籍を置き、「なんだかわかんないけど」毎日「そういう」活動に精を出している。「「命」は1個しかないけど私のモン。戦争になったら逃げる」という彼女の逃げ延びようとする先は果たしてドコ?。置かれてる物理的な状況は異なってはいるけれど・・・ある意味、その日暮らしなのは私と同じ(笑)私の年代は自分の居場所を探してる。確かな手応えが欲しくて求めてる。私もそれに漏れはしない。探してる。求めてる。私は誰なのか。どこへ行こうとしてるのか。・・・・・・それを考えていく作業は今は楽しい。治療の終わりが見えて来たからか♪ぐるんぐるん回りながらも消耗しながらも考える事が今は楽しい。

12月10日

今日はレントゲンの時に待ってる時間があって小児科のお友達ができましたd(o⌒∇⌒o)b みさきちゃんと言うのですが同じ系統の病気らしく早速お友達に♪小学校2年生と言ってましたから8歳くらいなのかな?(・・;)?とっとこハム太郎の話しで盛り上がってしまいました(* ̄m ̄)やっぱりハム太郎は偉大なり!てちてち〜(⊂・)〜♪やっぱりリボンちゃんやマフラーちゃんが人気ですね。σ( ̄∇ ̄;)はねてるくんが好き(爆)放射線科の中待合で二人ぼーっと呼ばれるのを待ってたんですけどふとみさきちゃんもIVHのどでかいのがぶら下がってまして・・・むふふ。放射線科の受付で油性ペン発見!発見!はっけーーーーーーんっ!!!みさきちゃんの持ってたハム太郎のシール帳をお手本にしまして♪しまして♪(φ(..。)カキカキ
じゃぁ〜ん!!!!目盛りがついてない点滴本体の裏のところにハムちゃんずを書いてあげましたぁ〜♪ d(⌒o⌒)b♪イエーーーーーーイ♪ d(⌒o⌒)b♪ ハム太郎点滴のできあがりっ!なのだっ!!!(^_^)vみさきちゃんは「すごいすごい」を連発してくれまして喜んでくれたのなんの(〃∇〃) また月曜日会えるといいな。迎えに来た看護婦さんに叱られてないといいんだけど((;^_^A アセアセ・・・ )体調はいいです♪最強です♪熱が下がったら念願のシャワー行けそうっ♪うっきー♪今度はみさきちゃんのマスクにころころくりりん書いちゃおう♪ф〜 \(ε ̄\)〜〜〜〜〜テリアモン描いてって言われたんだけど・・てっ・・テリアモンって誰よ(爆)ポケモンですか?( ̄▼ ̄;))))))????

12月前半

今月は小さなお友達ができました。私・・・なんとなく隔離された大事にされた生活をしていて、他の患者さんとお話なんて全然してなかったのですね。大部屋ならともかく結構暗かったというか、コミュニケーシュンが怖かったのが本音なのですが(笑)
同じ病気の小さな命はキラキラ眩しいほどに瞳は光を放ち、活発そうな話し方やお母様への甘え方や、今置かれてる自分の状況など暗く考える事もなく、ただひたすらに目の前の事を真正面から向かっていく。そんな様に改めて生命力の素晴らしさを、子供の無垢な真っ直ぐさを見つめさせて頂いて、いつのまにか私は元気をたくさんたくさんもらっていました。
動物と一緒で子供って目の前の敵を瞬時に判断する能力に長けている。本能的に敵から我が身を防御する術を知ってるのですね。
それは計算がなく見返りを気にしない最後の無垢な時期だったとして(そのお友達は8歳)そこから人間という名の大人へなっていくのかなぁと思います。
いつの間にか大人になってしまった自分も、こんな風に周りの大人を無垢な瞳で見つめている事があったのだろうか。自分の子供ではなくとも、感覚的に味方としてのおねえちゃんでいたいかな。ずっと。

12月20日

そういえば看護婦の頃、駅の傍にある立ち食いそばやさんに酔っ払って((*^¬^*)ウィーッモウイッパイ )食べに行きました(笑)仕事中には気安く話す事なんかできなかった10年近く上の先輩と。でも先輩は春先のそばつゆの香りの中で笑顔で。その笑顔は対等で仲間で私を慈しみこれから育てて行こう、一緒に頑張ろうとそんな言葉を私にかけてくれた訳で。激務の中でも自分を見失わない決意を持てと。「命」の重さを美しさをそして厳しさを目の当たりにしても私たちは女優と同じように己を隠してでも進むのだと。「でもアンタは大丈夫そうだね」そう言って笑った先輩の点けた煙草はマルボロメンソール。煙草の香りがなんだか切なく穏やかで。立ち食いだから煙草は外で吸うべきだったのかな。でも食べるのが遅い私を待っていてくれて。煙草を吸う看護婦さんは多いけどそれぞれの銘柄や吸い差しを覚えているのはやっぱり全てを記憶していたかったから。今NYでやっぱり看護婦をしてるのだろうな。バリバリに若いDrなんて蹴散らして(爆)先輩、私はあなたに恥ずかしくない私でいるのだろうか。

12月23日

自分の体臭が癌の匂いがする。呼気がかすかに異種なる匂い。うまく表現できないけど独特な癌患者の匂いってあると思う。飲んでいる薬の匂いなのかなぁ。結核の患者さんとかも病棟全体がクレゾールとマイシン系の尿の匂いがして学生の頃すっごく印象深かったのを覚えてる。(注意:今は結核で亡くなる方はほとんどいません)人によっては癌の匂いって死臭(細胞が死につつある匂い)に思う人もいるのかもしれないけど今を闘ってる匂いなのだと思いたい。実際成す術もなく朽ちて見えようともその肉体は魂で維持させていく事になんら変わりはないのだから。

12月27日

先生からシビアなムンテラ(説明)を受ける。浸潤の程度と可能性。合併症とこれからのリスク。今の心臓。腎臓。肝臓。骨髄。腹水。肺。膀胱。そして目の状態。良くはない。そんなような話しだった。でも聞いてなかった(笑)右から左に聞き流していた。だって暗くなっちゃうんだもんよ。今後の見通しだって今までの人たちはそうだったかもしれない。でも私の歯車は違う風に回るもん。医療じゃない治癒力ってあると思う。自らに蓄えてる自然治癒力のほかに。外的刺激の大きな治癒力ってあると思う。だから私は生きると思う。基本は変わらないし変えれない。治るじゃなくて治すから。野球は理論がなければできないという解説者がいる。そんなんじゃない。気合いだ!という解説者もいる。もちろん両者は対極にあるけどどちらも存在価値を認めているはず。前者はどこかで後者をバカにしながらもうらやましいなと思う。確かに自分もそれを信じて白球を追いかけていたのだから。理論が伴うと人は前の行動+αでなく後から学習し会得したものを表出させたくなる。新しいおもちゃや洋服を見せたくなるのと同じだ。もちろん理論も伴って気合いの魔物ぶりを知ってればそれはすごい解説者になるけれど。だから何が言いたかったかと言うとそれはどっちにも似て非違なる底力を持ってるってことなんだと思うからそれがどちらであっても信じてるその道でいいじゃないか。そういうこと。それが私。だから治す。気合いで(笑)

12月31日

2001年最後の日です。今年はすっごい年だったんですけど(良くも悪くも)終わり良ければ全て良しのジプシー精神でいきまっしょい♪p(*^-^*)q 外はひどい風が吹いています。お仕事の人は気を付けて帰って来てほしいし里帰りの人は無事にたどり着けますように。(*>人<*)〜♪心細くてもPCを開けばみんなが起きてて宴会してるみたいな安心感があるんだよね。これってすごいよねぇ。依存してるって言われればそれまでだけど。2002年はないかなって思ってた。だから素直に自分の命が嬉しくて。来年も頑張ります(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪っていうか全然普段と何も変わらないんだけどその平凡が今は尊い。来年は「今日は退院前夜で眠れません」って書ける日が来ますように。そして関わる全ての方々の幸せが逃げていきませんよう。

2002年1月2日

風が強い日が続いていますね。北風が人間や動植物を試しているかのようです。どうだ、寒いだろう、辛いだろう、厳しいだろうって。でもここから見る事ができる木々は凛として大地にしがみつきじっと耐えてる。生き物の中で尊敬に値するのは私は「木」だと思っています。私が新婚旅行で行きたいno。1に挙げている屋久島はそんな理由である意味聖地としてσ( ̄▽ ̄*)には存在しています。人が立ち入る事が困難な場所でしか存在できなくなって来てる現状。木霊は笑っているし泣いている。そんな木霊を抱きしめたいのです。この手で。話しをしてきたい。
ずっと人類が生きる前からそこに居る。じっとじっと気候や天災から我が身をそこにそびえたたせている。土地開発で倒されていく樹齢何十、何百年という木の無念は街角でも目の当たりにするけれど机上で決定されたそれは木々の声や叫びは聞こえてはいないのでしょうね。投書や反対運動が起きても平然と繰り返され人間は過ちに気付かないまま恥ずかしい姿を垂れ流していくのでしょう。整然とされた街路に自己満足を浸しながら。アスファルトやタイルで整地された日陰のない遊歩道で一体何が得られるというのか。小石一つ落ちていない、虫の息衝きが聞こえないそんな場所で輪廻の深さを子供たちにどう教えるというのか。人間は動物なのに動物じゃない。だって自然からの声が聞こえてはいないのだもの。

1月9日

手のしびれ、倦怠感。呼吸苦、咳、痰、いろんな所からの出血と微熱。口の中はいつも血液の味。蒼白い頬。血の気のひいた体の末梢は身体を温めてはくれない。なんて寒いんだろう。いろんな事が自分に降り積もって闇は身体の震えを助長する。何に脅え何に挑み私は何を見据えるべきなのか。焦りと不安で表現するには安易すぎる。その表現では華奢すぎるよ。この世に生を得た以上は必要十分条件として死が存在し、意識下に常に置かれるようになった時に動物は瞳にそれを悟るのだという。空を切る視線の先に見える高い空も星も鳥もいつも変わらず姿をそこに営む。私の動物としての営みも人間としての在り方も常軌を逸してはいまいか。一個の肉体に命を宿した神がいるならば、平等に幸せを与える神がいるのなら、教えてはくれまいか?私の生きる使命の意味を。命の尊厳が言葉だけでないのなら尊厳を持たずして断つ自由の刀をくれまいか。刃がほころびていようとも雄々しく断ってみせるから。警察。血塗られた記憶。曖昧な純粋。交錯した邪念。乳房の痛み。悪夢。消せないケロイド。

2002年1月前半

新年が明けて今年こそは達成させるべく目標は、もちろん「退院」なのですが、その前に「治療終了」の大きな課題が残っており、さっさと片付けてしまいたい私です。(*・_・*)ゞ
白血病だけでなく、なんだか知らない間に深く固く絡みに絡んでしまった糸は、思うようにほどけてはくれずに、時間と自分の領域の狭さを痛感しています。
こう長い間温室で楽な暮らしをしていると、いつのまにか自分を甘やかしてしまい、省みればその反省点はあり過ぎです。
春のいつかに、貴方とも貴女とも飲み交わす事ができます空を胸に、やっぱり前を向いて一生懸命でいたいかな。
絶望とか感じると毎日がつまらない。「自分だけが・・・」っていう考えをしてると、小さくいじけて縮こまってしまう弱い自分が心のすみで膝を抱えています。「そう考えてしまう状況だから」なんて甘えは嫌。ヤダo(>ロロ<)oヤダヤダo(>ロロ<)o
しかし今年はそんな自分にも少し優しくありたい。(既に矛盾♪(^_^)v)♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪
無理に進んで出血する心は、いつか力が足りなくて、やっぱり疲れて動けなくなってしまう。精神的な自虐もある程度まではいいけど、やっぱりそこらへんを私は直さないといけないですよね。アンバランス。不安定。うまく付き合えてこそ大人の女性になれるのかしら(・・;)?と(爆)
今年も前向き星人の王道を極めます。うっしゃ〜( ̄(OO) ̄)(鼻息も荒々しく)
(・_・)......ん?キャラじゃないって?(笑)これが「地」になれるように実生活でももう少し積極的にしないと。「大人しい」「静か」なんて代名詞なんですから(爆)<看護婦さんには ギャハハハ!!☆ミヾ(∇≦(ヾ(≧∇≦)〃)≧∇)ノ彡☆バンバン!!
うん。笑っていたいです。今年も。(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪

2002年1月23日

調子はどうか?と問われるとこんなに難しい問いはないだろ?って思うことに気付きました。患者は「大丈夫です(〃⌒∇⌒)ゞ」とやっぱり答えてしまう。弱音を吐くまいと決意したら男女関わらずそう答えるのが普通で、すべて隠さず話しをできる関係が医療スタッフと確立されていたとしたらそれは幸せだと思う。実際本来ならば何でも訴えて行くのは患者のつとめであるしそれが病状悪化の早期発見・早期治療の対処の術になるのはわかっている。でもどうしても現場の空気を読み取ってしまうクセが抜けず自分でもどこか気を遣ってるのかもしれない。自分からナースコールは原則的にしない。今は休憩時間だから点滴チェックの時間まで待とう。どこかで急変のバタバタを感じた時は静かに空へ祈ろう。できることは自分でやろう。点滴やドレーントラブルもできるだけ自分で直してできなければ言おう(笑)。ある意味とっても不良患者なのかも(うひ)σ( ̄▽ ̄*)は検温時には筆談用のメモを用意しておいて前回の検温から何か変わりがあれば書き留めておくようにしている。不覚にも寝ていても(笑)みんなわかっていて起こすような事はしない(でも熱があると眠りが浅くて気配で十分覚醒しますけど♪(* ̄m ̄)♪)昼間寝顔を見られるってなんだか申し訳ない。うまく言えないけど。そしてσ( ̄▽ ̄*)は休む事が仕事だってこともわかってるのだけど。(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪
今辛いのは酸素を外すと1時間も持たずに呼吸苦が出る事。酸素してれば元気過ぎのnet徘徊女に早変わり〜♪~~~~~(/ ̄▽)/ ~ф"" あはは〜♪痰はまだ出るけど気にしてると暗く考え込んで自分の症状ステージ分析なんかをしてしまいがちなのでお気に入りサイトを回ってうふふと笑うようにしている。足跡があればきっとみんなも安心してくれてると思うから。逆に私も安心するんだなこれが(笑)

1月31日

先生と話し(ってか半分以上雑談)をした。2月にMRIとGaシンチという検査をして地固め(にもならないのかもしれないけど)の続きならぬ抗がん剤の全身投与と言った方がいいかな・・・を、するそうです。今の身体のダメージで治療が行けるのかは疑問があるけど腹腔ドレーンを抜いて傷が塞がり次第始めるそうだ。この喪失感にも似た脱力した感じはなんだろう。もうそれをしてもしょうがないんじゃないのかな。いたずらに体力を消耗して朽ちて行くのならばこのまま痛みとうまく付き合って残りの時間を静かに過ごして行きたい私は既に負けてるのだろうか。残された少しの時間にも一人の私として女として優しく穏やかに微笑んでいたいささやかな気持ちからもう闘う事を省いてしまいたいのは私が弱いからなのか。
先生はいつでも全力投球で治療を施す役割を果たそうとしてくれている。患者が治療ができない現実の葛藤に苦しむ姿を知っているからなのだろう。気持ちはわかる。
冷静に考えてみても私の白血病はタイプM3ではなくなってきている。薬も効かない、中枢神経の諸症状は怪しく身体を蝕み。先生も私も飲みこんでいる言葉は多分口にしてはいけないのだろう。でも。でも私は・・・・。( p_q)シクシク
・・・・・・・・・・。ごめんなさい。明るく行こう。それがココだから。(*・_・*)ゞ
先生にもわかってるから。と言った。うん。と先生は頷いた。でも俺は諦めないから。やはりうん。と私は答えた。先生も私が気付いてる事も自分の成せる術が残り少ない事も全てわかってるのだ。だから私はこの身を預ける決心をしたのだし。
そう。諦めてはいけないのだ。立ち向かう事が私らしくいられる時を刻み続けていけるのならば「馬鹿だなあコイツ。もう治らないのに」という聞えてくる溜息を蹴散らしてやっぱり最前線(front line)で闘うべくして私は生まれたのだから。
奇蹟は起こす事ができるからこそ奇蹟なのだから。私が起こそう。必ず。p(*^-^*)q

1月後半

夢ってなに?そう思いました。
ささやかなこと こうしたいな・・、あれもしたいな、こうだったらいいな・・・・。それは願いですよね?
私の夢ってなに? そう思いました。
生きるってどんなこと? ただ息をしていればいいの? 鼓動が規則的ならいいの?
私は? 私が生きてるってどういうことよ。
私がいないみたい。PCに向かって、しんとした部屋の中でひとり。
PCが息をひそめながら、存在を誇示してるかのように、帯びた熱とかすかなファンの音。
誰も私を知らない。この空の下で生きてるのに、今こうしてることが、まぎれもなく真実なのに。
私がいないみたい。
裸足で駆け出せばいいのか。抱きしめてもらいに。
それで満足なのかお前。その先を求めるんじゃないのか?
夢ってなによ。生きるってなによ。
私はここにいるのに。
とじこめてとじこめて、これ以上どうしたら。
なぁんてね(* ̄m ̄) 気合い入れろや、自分(笑)
突っ張って突っ張って頑張ってきたんだもの。ここで負けるわけにはいかないんだよ。♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪
ドンマイドンマイ♪肩の力抜かなきゃ。
ね♪
春はすぐそこ。桜坂はすぐそこ。誰が1番に飛びついてくるんだろ。どんな顔しようかな。うふふ。

2月1日

今日はみさきちゃんに会った(ALL:急性リンパ性白血病の8歳のお友達♪)♪寛解をしたそうですぐに地固め療法に行けそうだとお母様が嬉しそうにお話してくれた。骨髄移植に関してはご家族のHLAは一致しなかったそうだ。しかし、みさきちゃんのお姉さんがどうにか一致しないながらも強引移植(笑)に踏み切るかもしれないとのこと♪自分のことみたいに嬉しかった。♪ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪ 絶対絶対生きなきゃ。まだみさきちゃん8歳なんだもの。これから楽しい事いっぱいだもの。この頃涙もろくていけない(U_U。)。お母様が話してるうちにうるうるしてるのを見て私が防波堤決壊してしまった( p_q)(笑)私がなんだかやつれたと冗談混じりに心配されてしまった。「えぇ恋の悩みで♪」と返したけどみさきちゃんのお母さんは私が心や言語に障害があると思ってたようで発声したら驚いていた(笑)うはは♪頑張ろう。きっと自分が頑張ってれば頑張る気持ちや粘りが伝染してみんなで頑張れるに違いないのだ♪だから・・・頑張っていきまっしょい♪p(*^-^*)q ♪ってか・・・「ただいま(*^-^)ノ 」

2月2日

NHKスペシャルを見た。今のアメリカの最先端の癌治療をいくつか挙げていてとっても勉強になったし、グリベックCML慢性骨髄性白血病の魔法の飲み薬♪)の事もわかりやすかったd(o⌒∇⌒o)b もともとETV2000(今は2002.笑)とかNHKスペシャルプロジェクトXなんかを真剣に見るのが好きだ。ノンフィクションはやはり伝えるだけで、ただそれだけで価値があると思う。
私は果たして何かを伝えることができているんだろうか。
ちょっとここのところ考えてる事をしっかり綴ってみようかと思ってる。文字にする事を躊躇していた部分を少しこの際とっぱらってみようか、なんて思い始めてる。
天気悪いといろんなところが痛むのは精神的なモノかなぁ。空が重いと後ろ向きになってしまう。どうしても見る夢が悪夢なのだ。あの身体を引き裂かれるかのような。流れてもいないのに血が流れているような。その物陰に潜んでいるかのような。

2月6日

HPも更新を怠けていたのでサイト開設以来熱望されている「用語解説」のページを進める。それでも作業時間にしてみれば普通の人の何倍もかかってる割には進まない。1つ1つの打ち方が遅く進み方は鈍足。それでも新しいページに下書きして打っていく清々しさは寒さも痛みもどこかへ飛んでいくかのようでこれは魔法だ。HPの模様替えがなかなかできない私にはこんな風に場所を付けたしていくしかできないから(笑)UPできるのはいつになるかわかりませんが頑張ってみますねp(*^-^*)q
さきちゃんのお母さんに偶然検査棟で会う。売店の帰りだったようだがみさきちゃんの姿を見かけないと思っていた。地固めの治療中に肺炎になりかかってしまい今は酸素を使っているそうだ。骨髄移植の件はお父さんの転勤と重なるかもしれなくて転勤先で行うかもしれないとのこと。・・・・って事は転院?うーん。寂しいけど良くなる為には仕方ないし家族は一緒にいるべきだものね。みさきちゃんはヤマは越えたそうで本当に良かった:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: 早くまた笑顔を見せてね。

2月10日

腹腔に直接抗がん剤を入れる治療+腹水が溜まってもきちんと排出できるように「シャント術」をどうするか?というような話しをした。でも考えさせてもらいたい、と返事。岐路に差し掛かってるのかもしれないけれど抗がん剤で結果がわからない治療で毎日吐いてマイナスな思考でいる懸けに出るよりもこのまま少し休ませて欲しい気持ちもある。いじらなければなんでもなかった事が一部をいじってしまったばかりに狂うタイミングの見極めはとっても難しい。単なる対症療法ならば患者に選択の権限を持たせてもらってももういいかなぁって。そんなことを先生と筆談していた昼下がりでした。

2月13日

だるだるのさんだるびっち。うまく歩けない。気持ちも身体も。落ちるだけ落ちればあとは上がるのみ。もう歩けないとうずくまるのは簡単で誰もが考える。熱が痛みが私を狂わすのだ。でも終われない。終わることができない。終わってしまったら私はずうっと後悔し続けていくのだろう。発作的に全てを壊したくなる。この身も全部切り刻んで血まみれにして自分の体温を感じながらいっそのこと狂ってしまいたい。なのにどうして笑わないといけない。・・・・・・こんな・馬鹿馬鹿しい思考回路の自分に腹が立つ。この地球のどこかにはもっともっと痛み苦しみ泣き叫んでもどうにもならないことに立ち向かっている子供たちがいるというのに。私なんか。こんなことで、と。
抱きしめられない身体はその真ん中を大きなケロイドで焼印を押され胸から恥骨までの醜さを増強させている。乳房も瞳も唇ももう誰も見つめて愛してくれることはないのだろう。機能を失った子宮は沈黙し腐った脚にはもろい骨が顔を出す。
なのにどうしてこんなに空は晴れている?
憎らしいほどの藍。雲一つない。
私がMSコンチンだと思って飲んでいたのはなんとセデス+α(不明)だった(笑)どうりで効かない訳だよ。似てる訳だよ(爆)この痛みは私が私でなくなる。
mail感謝しています。最後の砦はきっと貴方たちが守ってくれているのでしょう。こんな垂れ流した感情も含めてそれでも尚笑顔でいたい私をずうっとこのまま。

2月16日

TAKEさんのご好意で私への千羽鶴ができ上がったそうです。前から聞いてはいたけれどこんなに大掛かりなことになってるとは思いもしませんでした。毎日たくさんの言葉をもらっているだけで十分なのに、時々見守ってくれている気持ちを伝えてくれるそれだけで頑張れるのに。皆が思ってるほど頑張れているのか自信がないのに。まだ見たばかりでドキドキしています。何度も何度も見直してきっとこの手の震えが止まったら涙が溢れてくると思います。そんなに簡単に受け止めきれる軽いものではありません。きっと深く深く私の心に響いてくるのでしょう。関わって下さった皆様ありがとうございます。お礼の言葉はTAKEさんにmail致します。もぉぉぉぉぉぉぉぉ。もぅもぅみんな素敵なんだから。。(ノ_・。)千羽鶴と一緒に祈りと時間を頂ける喜び。この日をきっと忘れないし私の宝物になるでしょう。(〃⌒∇⌒)ゞ

2月18日

言葉はいろんな体温を持つ。通して温度差がない気候は過ごしやすいが変化に欠ける。逆に激しい落差をもつと途端にそれは厳しさを課す。感情の代弁とイコールにされがちな言葉。落差に似た激情の吐露。表情や会話の間を読み取れない関係や状況では更にその純度が増す。すがってでも離したくないものは決して離してはいけない。その瞳の奥から。負けたくないと願うべく事が1つでも心にあるならば遂げるその日を目指す事を忘れてはならない。表面的にはいくら揺らいでも冬に培う耐寒が植物を豊かにするように。己の放つ輝きがたとえ弱くとも決して消えない青い炎であるように。

2月19日

マルク施行。とうとうその時が来た。胸骨で採れない。そして腸骨でも採れない骨髄液。書くのを迷った。とてもとてもとても迷った。でも正直に先生が話してくれたから書く。。。。ありがとう先生。
今の私の骨髄は「dry tap」:骨髄液が採れない。採取できない・・イコール骨髄が繊維化?または骨髄が白血病細胞で埋まっていて骨髄液が採れない状態。どえぇぇぇぇ?Σ( ̄◇ ̄;)先生の採り方がいけないんぢゃないのかっ?!(超失礼な私(* ̄m ̄)むふ)でも。負けませんから。引っくり返す。見てろこの野郎なのだ(ぇ?)血液検査のCRPも下がらずなんとかという(わっかんねぇーよっそれじゃっ!笑)データもビンゴ(陽性?悪化の意味)らしい。慢性化してての移行期なのか急性転化なのか、はたまた別の骨髄の合併症が発覚するのかもう少し時間がいるみたい。でも事実を隠さず教えてくれる主治医で幸せだ私は。dry tapのことだって知らないままだったらずうっと気にしていただろうから。最初大げさに怖がらせてくれて残酷宣告されたら後は最小限に食い止める努力を怠らなければいいだけだ。残された時間が少ないなら有意義に使わせてもらった方がいいもん。(あ。σ( ̄∇ ̄;)はまだまだ生きるけどねっ。だって子供生みたいしっ♪ウェディングドレス着たいしっ♪まだ見ぬだーりん探さなきゃだしっ♪忙しい〜ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛ )
・・・・・でもこれって・・・私ってば良くはなってないんだもんなぁ・・・・憂鬱にもなる瞬間も日に何度か(苦笑)
・・・・・ざけんな。ばーか。人の人生なんだと思ってるんだよ。負けるのか白血病に。私が。昼間泣くのは悔しいから夜泣くことにした。

2月20日

きっと今はまた自分を試されている。医療じゃお手上げだって人間の底力はこんなんじゃないはず。悪あがきでも何でもいいんだ、きっと。じふてりさんじゃないけど「奇蹟なんて起きて当然♪」をモットーに進むじょp(*^-^*)q でも不思議なほど落ち着いて聞けた。<血液・骨髄のデータが悪い、悪すぎ(爆)先週からずうっと心の状態はイマイチ低空。でもいいの。明るくても暗くても普通でもそんなの。いつもハイテンションじゃ「そう状態」だもんね(* ̄m ̄)まぁ鬱状態よりそっちのほうがいいのかもしれないけど(笑)精神科の薬は飲まないで来ている。17日に眠剤を使ったくらいで飲みたくない時は飲まないでいいと信用されて自己管理になっている(^_^)vだから飲まない。気の持ちようなのだ、要は。今心療内科や精神科のお薬で悩んでる方、自分の心の弾力を信じて欲しい。慰めでもなんでもなく祈っているから。孤独な闘いからの離脱を。アンタになんか言われたかないって?まぁまぁそう言わずに。生きるのが嫌になったらいくらでも死ぬ方法はあるもの。死ぬ勇気あるなら生きる方が多分とっても簡単。

2月22日

病気で入院してる人に頼っちゃいけないなんて考えるのは寂しいこと。何よりもこうしてて悲しいのは気遣われる事だ。もちろんチャットとかしててレスが遅れて「大丈夫?」とか言ってもらえるのとは違う。それは私の中では「気配り」だから。でも心を向かい合わせにする時にうわべだけの言葉なんかいらない。1対1の向き合いって真剣勝負だもの。話すことを選んで話すなら心なんか寄り添えないよ。そんな言葉で互いは語れないし時空を超えて届くものなんか何もない。言葉を選ぶって意味の思いやりはいくつかあるけど、TPOをわきまえる他に暗黙のルールがあるととられがち。イコール発する言葉を少なくする、とか。もちろんそれは一般常識として当たり前のボーダーライン。でも向き合った時は違うよ。心をえぐるような叫びでも私は嬉しいもの。わかるもん。あぁ真剣に向き合う事をこの人は選んでくれたんだなって。

2月23日

久し振りに起き上がってPCをするがすぐに疲れてしまう。掲示板に新しい意思が働く。入り乱れる感情の渦は流れが速くて強くて手を入れたら指がちぎれてしまいそう。立っていることがもうできなくなるんじゃないかって言うくらいに。でも私の肩や腰をずっと抱えていてくれる何人もの人がいる限りいつでもこの身くらいは惜しみない。腰に繋いだ太いザイルに絶対の信用と絆がある限り。できなくても精一杯。言葉を交わせる幸せ。たとえ文字だけでも顔が見えなくても。分かり合えない気持ちはコンプレックスが固まってるだけ。ほんの少し崩してあげればきっと一緒に笑えるよね。祖母のしている裁縫は糸が絡まらなかったのに私が初めて針を使った頃はよく絡まった。「ヘタの長糸」「急いては事を仕損じる」と祖母は絶対に助けてくれなかった。泣きながら絡めてしまった糸をほどいていった。時にはハサミで切って終わりにしたくて祖母に叱られた<糸を無駄にするな。いつか欲張らずに作業しやすい糸の長さを自分でわかるようになり和裁が好きになった。小学校ではあやとりの絡まりを中学高校では手編みのセーターの毛糸の絡まり(苦笑)をほどく係に指名される位にほどき名人にっ!♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪
そう。気持ちを落ち着かせると全てほどく事ができた。絡まったのならいつかほどけるのよ。私に吐き出す事で気持ちが休まるのならそうしてね。私も吐き出せる人の元で休ませてもらうから。
:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*:

2月24日

尿の管を抜いてからトイレに這いずって行ってるのだが見かねた先生がポータブルトイレの使用を命令する。だけどかたくなに拒否する。こんなに動かないでいいはずがないもん。見えない部分で頑張らないで私はどこで頑張るの?と先生に思わず言う。体力の消耗を最低限にしたいのと好意で言ってくれたのに文字を書き殴った形になったのは申し訳ないと思っている。m(。≧ _ ≦。)mス、スイマセーン(注意:先生とはほとんど筆談です)立てなくなるほど筋力が落ちたってことがまだ受け入れられない自分がいる。リハビリのほかに重そうな本やキープ用の点滴の予備が何個かあるのだが(1パック&1本は500ml=500g)こっそりそれで筋トレ(笑)見付かったら怒られるな〜こりゃ(笑)♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪
這いずって見えるものがある。寝そべって得る感覚がある。救急カートやbed、オーバーテーブルなどのキャスターの作りが精巧であることや床がとてもきれいに掃除されている時の輝きと掃除してくれる初老の女性の笑顔。そしてスタッフの足音(聞こえるのもそうなのだが足の運びがもう見えるのだ)。床に頬と耳を当てていると聞こえる自分の拍動。電気が床下を配線されているのかどこからかのモーター音が弱く響いてくる。床に火照った体温を奪われていく静寂。頼りになるのは私の五感と記憶。求めているのは遠くの未来よりも多分明日の目覚め。良く田舎で何もない原っぱで落葉の林でこうしていた。流れる風と土の匂い。本でこうやって大地からエネルギーをもらうんだ、という主人公の言葉に思わず実践して以来ついこの間までしょっちゅうこうしていたような気がする。(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪

2月26日

今日はプロジェクトXの日だ〜♪\(●⌒∇⌒●)/物足りなさはあったけれど一般的に作ってあってわかりやすかった。涙涙で構成されていないところが良かったと思う。白血病にも骨髄移植にも涙のイメージが着いてしまうのが映像から刻まれる印象という意識だから。確かに「普通」を願い「今」を大切に生きる事は変わりない。闘病は白血病にかかわらず運命を切り開くのは自分の負けない意思なのだと再確認。とんでもなく鬱状態にはまるようなつくりだったらどうしようと思っていた。自分は骨髄移植ができるのにできない。ちっきしょおおおおおおなんて母を恨んでしまったらどうしようかと。でも違った。多分私より辛い人がいる。起き上がれないでいる人が必ずいる。だからそんな患者さんの傍で耳を傾け手の温もりと強い意思をを伝えたい。将来、綺麗な服を着てお化粧をして家庭があって私もきっと骨髄バンクの活動を始めるんだろうなとふと思った。洗濯物をたたみながら空を見て今こうしていたことを思い出せる日が来るんだろう。部屋に結婚式の写真を飾り料理の献立を考えあぐねるんだろう。何年続くかわからないけどここを訪れ不安で潰れそうな人にずっとずっとmailを送るんだろう。元気と闘志を込めて。まずはキャンペーンPVのfrontlineバージョンを企画しないとっ!!♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪
不屈の魂。多分一生使わぬ人はそれを使わずに生きて行く。今使わないでどうする。だから走ります。

2月27日

ごっそり肉が落ちても存在は変わらないものがある。それは2つの乳房だ。脂肪の塊で組織されているはずのそれは入院当初からあんまり変わらない。背中をはじめとする体幹の肉は削げ落ちて胸囲こそはサイズダウンしたが乳房は変わらないのが嬉しかったりする。棒切れのようになり、後ろを向いてるのか前を向いてるのかわからない女体の中で唯一の温かみを放つ。柔らか味と存在そのものの甘さ。象徴的な円い緩やかなふくらみは私自身にも忘れかけた女を思い出させる。乳房を失う事は生きて両手両足をもがれる事よりも私の中では辛い。毎日の清拭の時に確かめ、処置や回診の時には恥じらい、闇の中での恐怖に耐える時は震える。我が子や恋人がこの身に全てをゆだね眠りについてくれる夜がいつかくるといい。

2月後半

あっという間の毎日に、自分が面食らっています。
いつのまにか春が来て、新しい命や息吹きが優しい香りを届けてくれます。
生かされてるのではなく、生きるのだと心に決めて、毎日を歩いたり走ったり休んだり。女である前に、人間なのだと言い聞かせたり。
病人は弱者ではなく、生への挑戦者なのだと。病へ挑むのではなくて、自らの生への挑みなのだと。
走る事はやめない。走って走って走って、きっとゴールしてみせるから。

3月1日

誰かに甘えてしまいたくなる。私だけを愛してよと。私だけを見つめていてよ。と。こんな寂しくてどろどろした私を殴って叱ってよ。と。・・・・・全部痛みのせいだ。布団や毛布が重たい。食事も箸やスプーンが重たくて食べる気がなくなってしまう。きしむ身体が言わせてるだけの欲求不満な女という性。きっと女だから寂しいんだ。女だから男に守って欲しいんだ。女だから負けそうになるんだ。それでもやっぱり私はまた女がいい・・・。女でいたい。悔しいから空を見て泣いた。涙が止まるまで泣いた。表に見える私の止まらない涙のために抗不安剤が届く。笑顔で受け取り捨てる。こんなもんいるか。薬なんかに甘えられないんだ人間の心は。

3月16日

3月13日に急性リンパ性白血病のお友達みさきちゃんが肺炎のためご逝去されました。享年8歳。
さっき知ったばかりでまともに思考が定まらないので少し落ち着いたらまた走りますから。
・・・・何から書けばいいのだろう。不安や予感が的中するってこう言う事なんだろう。彼女の死の現実を受け入れる事は私には不可能。でも物理的なお別れが迫っている事は確かなのだと何かをしなければならないと思った。思い付くものを羅列してどれも違うと思った。お香典も手紙もお花もおもちゃも違う気がしたのだ。・・・・似合うだろうなと思い描いていた姿があった。薄茶色のフリースのパーカーをいつも彼女は着ていたのだが何となく似合う色は違っている気がした。好きな色はpink。黄色。黄緑色。そう言っていた。だから決めたのは桜色のカーディガン。ボタンのあるものはボタンの印象で全てが決まってしまうからボタンはないボレロタイプ。赤ちゃんが羽織るケープのような袖ありのものに即決めた。大まかな身長と治療で少し痩せ気味だった彼女のラインを思い出しながら全体のサイズを決める。8歳ってハム太郎なんて付いてないちょっと大人っぽいお姉さんっぽいデザインも着てみたくなる時期なのかな・・・とか思いながら。Reiko(小児科の看護師さん)さんが気を利かせて来て下さったから編み始める事ができた。今手元に余っている毛糸では心許なかったから。今の季節毛糸を探すのは至難だったと思う。夜勤前に本当に有り難うございました。そして理由もわからずちょくちょくチャットに夜中に顔出ししていた私のお相手下さった皆様のおかげです。やっぱり泣けてしまって。泣くと手元が見えなくて。PCと枕もとのライトだけでは涙が溢れると視界が厳しくて。泣くと息が苦しくて。酸素の機械的な流量の多さを胸に吸い込む事を忘れてしまって。チャットで笑って涙を止めては編み進める事ができました。本当に有り難うございます。不良患者であきれられてしまったかな・・・。身体が痛いとか息が苦しいとかそんなことは些末で。「みぃちゃん。みさきちゃん。みぃちゃん。みさきちゃん・・・」でき上がったらまた笑ってくれるような気がして。「おねえちゃん♪」と車椅子の私の膝に飛びついて来てくれるような気がして。。(ノ_・。)。。大好きでした。みさきちゃん。

3月22日

思う丈にブレーキをかけずに相手に伝える術があったならどんなにいいのだろう。ありがとうの気持ち。好きな気持ち。大切な気持ち。信頼の気持ち。身近だから伝えにくい確かさへのおごりを持ってはいまいか。いる事が当たり前で与えてもらう事が当たり前で伝えない事がいつのまにか当たり前になっている自分に気付く。友達に家族に恋人に伝えてこその気持ち。気持ちの意義。そんなことのさわりを話す。話せる友人がいる事が私のかけがえのない時間と居場所。

3月25日

遠出をした。一睡もできずに朝を迎えたのは何故だろう。この日でなければいけなかった今日は祖母と友人の3回忌。法事は平日なのでやっていないはず。墓前にどうしても向かいたかった。点滴もカテも全部抜いて胸水bagをクランプして脇腹に縛り付けて出発。(勝手にこんなことしてはいけません)なんとなく先生に一言言った方がいいような気もしたが早朝だったしこの熱ではまた延期されてしまいそうなのでえいっと後ろも向かずに飛び出した(>_<)。ごめんなさい(*>人<*)〜!。もうここを出たら戻れないような弱気な自分もいて電車の中で少し涙があふれた。。(ノ_・。)福島を過ぎたあたりでいつもほっとする。景色が変わるから。酸素のない人込みは私にはきつかったけれど決行した以上はやり遂げてこそ。JRの駅員さんには本当にお世話になりました。見てないだろうけれど有難うございました。また横浜駅で声をかけてくれた港湾病院内科(・・・とおっしゃっていた)のDrさま。そんなに私ってば呼吸が荒かったのですね、反省です。(*・_・*)ゞ<救急車呼ぼうとまで言って下さった。元気です。いろんな思いが存在している。でも言葉にしたら違うものにそれはなるような気がするから。失踪扱いにはびっくりしました。なんだかわからないけど謝っておこうかな|_・。)・・・ごめんなさい(笑)・・・ちゃんと頼んでいたのにな。でも十分無茶な計画か・・・(*^〜^*)桜がキレイだったからいいや(* ̄m ̄)<良くないって?!そういえば今日は何も食事を摂らなかった。誰かが隣にいれば車椅子でもコンビニでも飲食店にも入る気がしたのかもしれないけれどそれは願ってはいけないのだ、もう。(・_・)......ん?で。山形はどうだったかって?!あはは〜内緒♪(#^ー゜)vブイッ♪

3月26日

残された右目のかすみがひどくなってきました。かすみだけでなく晴れていても視野が暗くなる時が日に日に増えています。もっともっと一緒にいたいのに。無念です。過ごして来た時間が1つ1つ尊いです。私にとって何よりのかけがえのない時間でした。生きる様を見つめ応援しつづけて下さった皆様本当にありがとうございました。右目の視力が消失しましたらthe front lineは閉鎖致します。開いて良かった。出会えて幸せでした。ここまでこれたのは皆様のおかげ以外のなにものでもありません。たくさん頂いたmail、掲示板でのメッセージ。お世話になったサイトで記された1つ1つの言葉。私の胸の中で永遠です。忘れません。
今あるあなたの全てを愛し、進んでいかれる人生に幸多かれと心より祈っています。生きる力を本当にありがとう。

3月27日

休筆。泣いてばかりで何も考えられない。音楽も聴かない。人とも一切話さずに終わる。こんな日もある。明日はもう少し明るい世界のはず。

3月28日

ぼんやり夜中にPCを見つめていました。この魔法の箱は私を本当にここから外へ連れ出してくれた。いろんな人の言葉を運んで来る。想いを乗せて。どれほどの想いが交差したんだろう。自分も放出して受け止めて考えて昇華してまた文字にして。この作業は自分のためだけどどこかで誰かの為になったらいいなって思ってた。

3月29日

3月は頑張ろう。ずっとそう思ってきたのはどうしてなのだろう。こんなに別れを思い知るためだったのか。大切な部分がどんどん弾力を失っているかのよう。毎日毎日受け入れなければならないことが多すぎてまばたきの回数が気付くと減っている。何を見ている訳ではない。何を考えてるわけではない。・・・・ただ息をしている。呼吸をし、刻まれる鼓動の波を見ていると生きるための「優先順位」って何だろう?と思う。個人差がある故にそれは完全なる治療であったり、家庭であったり、苦痛の緩和であったり。・・・・・私は基本的欲求の充足を求める一般人だ。人間関係を築く。時間を知る。感情や感覚を味わう。そしてしたためる。

3月30日

一人じゃここまでできなかった。いろんな事を書いてきていろんな思いを頂きました。それが励みであり支えであり日々の英気になった事は間違いありません。・・・って闘病日記に書く事じゃないけどここがどんなに毎日にプラスになっているのかを考えれば意味のあることなのかな・・なぁんて思います。でもありがとうじゃ足りないから絶対退院する事に決めました。別れが辛すぎる。白血病でもなんでも病気で死にすぎだよ。うんざりだ。もぅ。・・・・・・・・だから進み走り続けて大笑いします。おーっほほほほ♪( ̄ー ̄ゞ−☆ 

3月31日

喪失の感情は空虚であるようで激しくもある。そして私の中は空虚なようでそうじゃない。自我がきちんと存在している人間に空虚などはないのだ、きっと。思い起こせる記憶があると言う事はなんと優しい作業なのだろう。私はいつも相手の人と何かを共有したいと思ってきた。生活の中に意味を持たせたいと思っていた。・・・・たった一つでも残る跡や余す何かになれたらいいな。そう思ってきた。そして相手の記憶の中にも共有できた実感が僅かでも欠片として残ればいいなぁと。思っています。(*・_・*)ゞちょっとここのところ不眠気味。でも眠剤はやめてます。薬きらい(笑)
いろんな事が降り注いで来るけれど変わらない場所でいたいです、2年目も(〃∇〃) <どうぞよろしくね。(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪

<前:「生きる」ってね… 真剣なんです。  次:これが命の醍醐味なのだ>