新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

いじめ・自殺に関する良文7つ

朝っていう時間帯はすごいぞ

『自殺したい』と言う縁起でもない名前のスレッドに颯爽と現れた名文。

いじめとはシーツによった「しわ」のようなもの

人間関係ってのは、みんなでデカいシ−ツの端っこを持って歩いているようなもんなんや。だけどときどき、そのシ−ツに皴が寄ってしまうんよ。その皴の寄ったところを持っている奴が、いじめられるねん。

恵比寿法律新聞: じさつをよこくしたきみへのてがみをかこう

それでもうまくいかなかったとき、正しい態度を示していくのがほかでもない、大人になった君だ。それはそういう経験と感受性をもった、将来の君にまかされた責任なんだ。君がその責任をひきうけないうちは、解決はいつも他人次第だから、どこにでも苦しみをみつけてしまうだろう。

あんたジャージでどこ行くの: 死にたい人は救いなんか求めていない

なんでもいいから何日かあとに、ちょっと楽しみな予定を入れておく。そういうことを積み重ねてゆくしかないのではないかと僕は思う。

以下3つは「いじめられ日記」だ。そろそろこれらを読んでない世代も居ると思い紹介する。不快に感じる場合は読まないようにって、普通は言うところだが、不快を感じながらも読むことになるだろう。

それでも生きていこう(リンク先はFlash復刻版 音が出ます)


それでも生きて行こう
1 名前: 毒 ◆72o6p0H6 投稿日: 02/08/11 23:13
自分の半生でも書いてみるスレ
俺のエピソードは…
小学生の頃、いじめられていた。石を投げられる。殴られる。転校する時、担任が一言。「君にはお別れ会なんて必要ないよね?」
中学生の頃。周りは小学校と同じメンバー。暴力が続くと思いきや、とことん無視される。休み時間は寝たふり。給食は席をくっつけるが、誰も話に入れてくれない。入れない。やることがないので、勉強を一生懸命やる。人の十倍はやっただろう。そして学年で20番の成績を取れた。あれだけ勉強して、20番。
高校生の頃。普段は酒を飲まず、とても優しかった母親がめずらしく酔っていた。抱き上げた俺に向かって泣きながら言った。
「ごめんね…産んでごめんね…」
どんな言葉よりも辛かった。
そんな俺にも初めての友人ができた。高校2年の始業式。前の席だった奴が話しかけてくれた。うれしかった。そいつはとても面白くて、いつもクラスの中心にいた。それでも俺と話してくれた。ほんとにうれしかった。あるとき、トイレで用を足している(大)と、外で話し声が。
男1「おまえさあ、あいつと仲良いよな、○○。なんでよ?」
男2「そうそう、お前と性格合いそうにないのにな。」
そして、友人の声
「いや、一応席近いしさ、話しかけないとまずいと思ったのよ。ほら、俺ってクラスの人気者じゃん?誰にでもやさしくしとかないと。ま、それでも友達にはなれないけどね。」
トイレから出れなかった。
父親に悩みを打ち明けたことがあった。俺は何で生きてるんだろう?何の為に生きてるんだろう? …もう死にたいよ。父親は俺にそっくりな無愛想な顔をして
「…生きてれば良いことがあるかもしれない。少なくとも俺はお前の母親と出会えて、お前という息子を授かって、幸せだ。ま、あいつ、不細工だけどな」
そんな父親が過労死で死んだ。会社は一切認めてくれなかった。葬式にきた数人の同僚、部下、上司は笑っていた。彼らにとってはどうでもいいことだったんだろう。涙は出なかった、怒りも沸かなかった。ただ呆然としていた。母親も俺と同じ顔をしていたのが印象的だった。
ちいさな会社に入った。 運送業者の事務だ。皮肉なことに父親と同じ業界。入って3ヶ月目の上司の評価
「使えない」
みんなの前でこき下ろされた。でも、しょうがないと思ってる。俺は、本当に使えない奴だから。
仕事は忙しかった。40度近い熱でも休まなかった。休めなかった。 それでもある意味幸せだった。忙しさに、すべてを奪われていたから。すべてを忘れることができたから。
会社に入ってから3年。いまだ使えない奴扱いの俺に唯一笑顔をみせてくれる娘がいた。その年に入ってきた新人の女の子だ。「おはようございます」の一言と、その笑顔が俺を癒してくれた。
「変われるかもしれない。」
すでに人を好きになることを諦めていた俺がそう思った。
数ヶ月後。いまだに笑顔を見せてくれる彼女を夕飯に誘った。誘えた自分が誇らしく思えた。別の人間かと思った。彼女の答えは
「もちろん、行きます。どこに連れて行ってくれるんですか?」
生まれて初めて、生まれて良かったと思えた。告白した。いろいろ考えて考えて…何度も練習して…。それなのに、言えたのはたった一言。
「す…好きなんです。付き合って…ください…」
自分でも情けなくなるくらいしどろもどろだった。
「ごめんなさい。今は付き合うとか考えられないんです。いろいろやりたいことがあるんです。」
彼女はそう言った。悲しかったけど、妙に納得してしまった。ある意味で嬉しかったのかもしれない。彼女の断り方が。
数ヶ月後、彼女は寿退社をした。相手とは3年付き合っていたらしい。結婚式には呼ばれなかった。
傷心… そんな気持ちを抱くこともなかった。
「そんなもんさ。いつものことだろ。」
いつのまにか口癖になっていた。仕事に命をかけよう。父親のように。今はそれしかない。仕事だけは俺を必要としてくれている。…やることはたくさんある。
「お前、この仕事向いてないよな?自分でもわかるだろ? 辛いだけだぞ?こんな仕事続けても。まだ若いんだから転職でもしてみたらどうだ?」
ある時、上司から告げられた。俺は馬鹿だけど、上司が何を言いたいのかは分かった。次の日、辞表を出した俺に上司はうれしそうに
「お疲れさん!」
同僚たちはいつものように仕事をしていた。いつも以上に忙しそうに。
その日夜遅くまで公園で時間を潰した。家に帰った俺に、母親がいつもの笑顔で
「お疲れ様」
といった。
「会社、辞めてきたよ」
と言った俺に、一言。
「お疲れ様」
同じ笑顔だった。
数ヶ月前。職を探していた俺が、いつものように家に帰ると母親がいなかった。夜遅くに電話が鳴った。病院からだった。母親の声だった。いつもの優しい声で、具合が悪くなったので医者に行ったら入院するように言われたこと。今日はもう面会できないから明日必要なものを持って病院に来て欲しいことなどを告げられた。
次の日、保険証やら着替えやらをもって病院に行った。癌だと、医者から告げられた。末期の胃癌だったそうだ。もう、助からないらしい。いつものように優しい母親。目を見ることができなかった。
一人で家に帰って、父親に告げた。父親の前で泣くのは、これが2回目だった。
1ヶ月ほどたった日、母親がかすれた、それでも優しい声で言った。
「もう助からないんでしょ?分かってるのよ。」

俺は黙ってしまった。母親はいつものように優しい声で
「どう?仕事は見つかりそう?」
話題を変えた。俺は我慢しきれずに泣いてしまった。母親はずっと俺の手をさすっていた。
数少ない親戚が久しぶりに集まった。
「あの人は本当に良い人で…」
「惜しい人を…」
どこかで聞いた台詞であふれていた。俺は淡々と喪主を勤つとめた。ここ数ヶ月、ずっと独りで、とても広く感じていた家。その日からさらに広く感じた。骨壷は思っていたよりも軽かった。
家に帰った俺は机の上においてあったノートを手にとった。母親の病室の、枕の下から出てきたノートだ。日記だった。入院してから、1ヶ月くらいから、死ぬ2,3週間前までの。その日記は父親との会話でつづられていた。2,3日分の日記を読んで、泣いてしまった。書かれているのは全部俺のことだった。最後のページから数日前の日記。その日記だけ、俺宛だった。
○○、あなたにずっと謝りたいことがあったの。○○がいじめられていたこと、ずっと知ってたの。でも、私は弱い人間だからただ優しくすることしかできなかった。学校に行こうかとも思ったけど、行けなかった。いつも○○が優しい顔で「今日も楽しかった」って言ってたから。だれにも言わずにがんばっている○○を裏切れなかったの。
覚えてる?高校2年の頃。私は酔ってあなたに言ってしまったね 。「産んでごめん」って。本当にごめんなさい。あのときは本当に思ったの。あなたがこんなに辛い思いをしているのは私が産んだせいだって。
(中略)
私はあなたを産んで本当に良かった。幸せだった。だから、あなたにも幸せになって欲しい。あなたなら幸せになれる。お願いだから、なって。
俺は驚いた。まさか、あそこまで潰れていた母親がそんな事を覚えてるとは思ってもいなかったから。ずっとそのことで悔やんでいたんだと思った。優しくともすこし陰のある笑顔はたぶん、その後悔から来てたんだろう。
号泣した。どこからこんなに涙があふれてくるんだろう? 死ぬことを考えていた俺は思った。幸せになろうと。
「それでも生きて行こう」

451 名前: 毒 ◆72o6p0H6 投稿日: 02/08/13 02:03
自分はまったく努力してきませんでした。自分のことを棚に上げて、いつも相手を憎んでいました。それでも行動には移せませんでした。卑屈になってました。自分が暗くて弱くて不細工だからいけないんだと。それを直そうともせずに、ただ世間を恨んでました。自分は悲劇の主人公なんだと思ってました。
母親の日記を見るまでずっとそうでした。
「変わりたい」、いや、「変われる」と思いました。そうしたら誰かに聞いてもらいたくなって、このスレを立てました。
自己中で申し訳ないです。

絶望の世界 -僕の日記-(リンク先は復刻版)

11月8日(日) 晴れ:今日はホームページ開設記念日です。日記を付ける決意をしました。学校での嫌な事とかもきちんと書いていくつもりです。僕の周りの人は僕がインターネットをやってる事を知りません。知ってる人に見られる心配が無いので自由に書けます。頑張ります。
11月9日(月) 晴れ:今日はお弁当に虫が入ってました。後ろの席の奥田が笑ってます。どうやら奥田が虫を入れたようです。虫は箸でつまんで捨てました。ご飯が茶色くなってましたがもったいないのできちんと食べました。少し苦かったです。
11月10日(火) 晴れ:昨日虫入りのお弁当を食べたせいで僕のあだ名が「虫」になりました。奥田が言い始めたんですがいつの間にかみんな真似してます。やっぱりご飯粒の隙間に入ってた虫の足も捨てるべきでした。ちぎれた足まで取り除くのが面倒だったので一緒に食べてしまったんです。後悔してます。

油日記(リンク先は復刻版)

今日の日記。八時三十分登校。クラスに入ると女子がザワザワする。一部笑い声も聞こえる。どうやら僕の髪型(センター分け長髪)を笑っているようだ。
現代文の授業中、先生に当てられる。本を朗読し始めると、みんなが笑った。朗読し終わると、何故か拍手される。どうも、僕の声がおかしいらしい。一人の男子が、僕の声を真似して僕の名前を叫んだ。みんなが大声で笑った。
休み時間、男子に囲まれる。その様子を遠くから女子が見ている。一人が僕の眼鏡を奪って、遠くの女子の所へ持っていった。女子が悲鳴をあげながら一斉に逃げた。
ホームルームの時間、学級代表を決めた。予想どうり、男子全員から推薦を押し付けられた。先生は「頼むわね」しか言ってくれなかった。
もう、学校には行きたくない。
ウフフ。



今日の日記。八時五十分登校。遅刻してしまった。教室へ行くと日本史の授業が始まっていた。教室に入る前、とても嫌な予感がした。教室のドアを開けると、みんなが僕を見た。三秒ぐらい沈黙した後、みんなが笑いだした。僕が席についた時、男子のT朗が「デーブ!デーブ!」と言い出した。すると、ほとんどの男子が"デブコール"を始めた。とても悔しかった。女子が大声で笑いだした。先生が止めようとするが、まったく効果がない。むしろクラスは盛り上がっていった。
次の休み時間に、さっきのT朗に「おい、油。ちょぉ、パシッてこいや」と言われたが、無視してやった。気持ちよかった。だが、すぐに太股の裏側をおもいっきり蹴られた。涙が出そうになった。
もう、死にたい。
ウフフ。

いじめからの「逃げ場」にブログはどうだろう?

って思うんだけど。体験を日記にまとめてさ。他のブログサービスだとどうかわかんないけど、はてななら読者付くと思うけどなぁ。「リアル絶望」とか本にしたらマジ売れるって。そうすればいじめてるヤツなんか、下らなく感じるようになるし、自分に自信が付けば自然といじめられなくなるんじゃね? したらキツイいじめにあっても「うはw キタコレ!」ってネタになることを喜べるんじゃね? 逆に「キモイ」ってまたいじめられるかw
それになー、いじめられるヤツってのは、基本的に何やってもダメなんだよな。だから自信がないし、いじめられるわけで。結局自分に自信が持てる何かをつかむまでは、ダメだよな。中学男子なら「ソープで童貞捨てる」っていう、手っ取り早い方法があるけど(笑) その年頃ならヒーローだろ? それにさ、そうだなー、自分の母親くらいの年の女に、チンチンからケツの穴までしゃぶってもらえばさ、なーんか色々変わるんじゃね?