新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

「ネットで書く」ということ

以下の文章は最初は「ライブドアPJってかわいそうだな」っていう感じの短い文章だった。それが書いてるうちに膨らんで結構な長文になった。自分がこれまでGIGAZINEに対し何をイライラしていたのか、全部わかってすっきりした。
ということで文化の日ってこともあり「ネットで書く」ってのはどういうことなのかを書いてみた。最初から順序だてて書いた文章じゃないので読みにくいと思うけど、多分ワシの聞いてもらいたいことが良く言えた文章になったと思うので読んでくれ。

LDPJの正体

これまで『PJニュース』はまともに読んだことがなかったのだが、前の記事を書くときに少しだけ読んでみた。いや、本当はもっと読み込むつもりだったのだが、短時間で読むに値しないとの結論に達してしまったのだ。感想を書いたら、ほぼ同じ内容のことを、的確かつ簡潔に述べられた文章があったので引用する。


あの程度の内容の記事をよく掲載しているなという印象が最初から最後まで拭えなかった。文章表現の稚拙さはさておくとして,論理構成のなさ,事実と主張の無分別,調査や資料検討のなさについては,読んでいて悲しくなるほどだ。これでジャーナリズムを名乗っていいのだろうか? ライブドアは,記者希望者に有料で記事の書き方やジャーナリズム論などをレクチャーしているというが,一体どのような内容をレクチャーしているのだろう。また,記事をチェックするデスクは何を思い掲載を許可しているのだろう。
LDPJを読んだ大方の感想はこのような感じだろう。「記事をチェックするデスクは何を思い」については、「チェックといっても内容じゃなくて「釣れる」かどうかだし、最高5000円*1の原稿料でやらせてんだから美味しい商売だよ。しょぼいブログでアフィリやるよりも儲かるし」と思っているわけだ。
ここでライブドアPJの仕組みについて簡単にまとめてみる。

  • まず1050円払って「ジャーナリスト講座」をメールで受講する。以前は8000円で実地研修だったようだ。
  • 1ヶ月以内に簡単な修了試験に合格するとPJとして登録される
  • 掲載された記事についてはライブドア著作権を所有するが、記事およびその取材活動などによって生じた損害又は損失などについては、一切の責任を負わず、逆にPJに対し損害賠償請求を行う。
  • すべての記事に「PJニュースはライブドア・ニュースとは無関係」と但し書きが入るが、募集要項には「livedoor ニュースでは、皆様からニュースやオピニオンを募り、採用させていただいた原稿をウェブ上に掲載してまいります。」とあり、GIGAZINEのインタビューでも編集部が強く関与していることが明らかになっていることから、とても「無関係」とは言えない。

つまり、「素人に釣り・煽り記事を安い原稿料で書かせてPVウハウハ。問題が起きたら「無関係」」ということだろう。「LDPJメソッド」とでも命名するか。

不特定多数ではなく、たった一人を満足させるために書け

元々ライブドアニュースは既存の大手メディアへのアンチテーゼとして生まれたのではなかったのか? それが旧メディアの「視聴率至上主義」と同じ「PV至上主義」をやってしまっては、媒体が違うだけでやっていることは同じではないか。マスメディアと同じことをやって、個人ジャーナリズムの存在意義はどこにあるというのか?
そりゃあ商売だからPVが上がらないと困るのはわかる。しかしPVを狙ってPVをあげるのは既存メディアがやればいいだけのこと。良記事が評判になってPVが上がってこそ、PJに価値が生まれるのではないか。
PJに限らず、なぜ個人が多数のPVを狙おうとするのか。たくさんの人に読まれることはうれしいし、励みになる。自分が「メディア」になりたいなら、それもいいだろう。しかしそうでないなら、自分が自分の言いたいこと考えていることを聞いてもらいたいという純粋な欲求をかなえたいのならば、たった一人に聞いてもらうために書け。はじめから多くの聴衆に聞かせるような「汎用性」のある文章よりも、たった一人のために「特化」した文章の方が、逆に多くの人の胸を打つ。エライ先生が講演で壇上から何千人の聴衆に向かってする話よりも、居酒屋で友達が言い合ってる話に耳を傾けるほうが面白いだろ?

ライブドアPJは素人がやってる東スポ

つまりライブドアPJは東スポを素人がやってるようなものだ。素人には素人の良さがあるのに、それを生かそうとせずプロの真似事をやっている。だからレベルが低いし、つまらないのだ。
ライブドアPJがネットを単なる安価で使えるメディアだと考え、PJたちを安価で使えるライターと考え、読者を安価で釣れるバカどもと考え続け、自らが持つポテンシャルに気がつかない、気がつこうとしないならば、ライブドアPJから良質な記事が生まれることは永遠にないだろう。

インターネットで書くということ

田口ランディという素人がやっていたメルマガは、彼女と友達の話をそばで聞いているような感覚があった。時には自分に語りかけられているように思うくらい、とても距離が近く感じられた。だから下手くそな文章でも多くの人の共感を得たのだ。素人ブログでも評判になる文章は、やっぱり「距離が近い」ことが多い。ネットというのは無限遠の距離から、興奮して飛んだツバがかかる距離にまで迫れるメディアだと思うのだ。だからこそ私はこうやってネットでお金にもならない文章を書いている。
ここで田口ランディの「再び、インターネットライターへの道」というコラムを紹介する。「引用」と呼ぶには長大すぎるが、いいから黙って読んでくれ。絶対損はさせないから。これでもだいぶ短くしたつもりなんだが、ランディは文章下手くそやけんダラダラ書いてるんよ。そこがまたいいところでもあるんだが。多分全文読みたくなると思うから、そうなりそうなヤツは最初からリンク先で読んでくれ。


「ネットコラムニストになるにはどうしたらいいでしょうか?」「なぜインターネットライターになられたのですか?」「ネットで人気コラムを書くコツって何ですか?」
 以前に比べて減ってはいるけど、それでも、こういうインタビュー依頼がたくさん来る。その度に、私はどう応えていいのか言葉に詰る。なぜ、メールマガジンを出し続けているのか。その理由は実は私にもわからない。どうして私は、毎週、これを送っているのだろう。書きたいから、という以外に何ひとつ思いつかない。正直なところ「上手く書こう」という気もあまりない。今週は「これを伝えよう」その思いだけがある

大人になるってことは「生産的に生きる」ってことだ

実は私は小学生の頃「漫画家になりたい」と思っていた。それで、毎日毎日漫画ばっかり描いていた時期がけっこう長くあった。毎晩、寝る時間も惜しかった。なんであんなに純粋に没頭できたんだろう。幸せだった。心奪われていた。無心だった。
でも、大人になるに従って、何もかも忘れて無心に没頭できることが少なくなってしまった。人間ってそういうものなんだろうなあ、って思った。今は、漫画を描いてもちっとも没頭できない。もちろん楽しくもない。私は子供の頃にあんなに絵を描くことが好きだったのに、今はクレヨンを握るだけで途方に暮れてしまう。
でも、そういうもんなんだろうと思ってた。大人になるってのは、子供の頃の無心な気持ちを失うことなんだ……って。そう自分に言い聞かせてきた。大人になるってことは「生産的に生きる」ってことだ。「非生産的な事」に没頭する時間は大人にはないんだ……って。

普通の価値観が通用しないインターネット

でも、インターネットっていう場は、なんか違ったのだ。この中では「生産的であること」は問われない。なんてえかな、インターネットの世界にはまだ資本主義が入って来てなくて、ここでは、そういう一般的な社会の価値観って、通用しないみたいに見えた。情報なんかみんなタダだったし、それぞれ金にならないホームぺージをせっせと作って、非生産的な自己表現をしあっていた。変な世界だと思った。でも、なんか面白いなって思った。だから、ここで自分も自己表現してみようという気になったんだと思う。
最初は「ネットで書いて、それでお金が儲けられたらいいな」って、私も姑息に考えてたんだ。でも、だんだん「どうでもいいや」って気になった。そんなことどうでもよくて、お金なんかいらないから「どんどん広がってくのが、バカおもしれえ」って思うようになった。そしたら、昔、漫画家になりたかった頃の自分、みたいなのが蘇ってきて、書くのが楽しくて楽しくてしょうがなくなってきたんだ。こんな年になって、もう一度、子供みたいに純真に書けることが奇跡だと思った。すごく嬉しい。私は喜んで書いている。とっても幸せだ。

理屈じゃない楽しさなんだ!

「ネットコラムニストになるにはどうしたらいいですか?」という質問は、すでに、もう「ネットで書くことの楽しさ」を失わせる構造を持っている。この質問は資本主義社会の匂いがする。そうじゃないんだよなあ、と私は思う。「どうやったっていいから、ネットで書くのは楽しいんだ。マニュアルなんかなくていいんだ。好きにしていいんだ。それがインターネットで書くって事なんだ」そのことをうまく伝えたいのだけど、なかなか言葉にならない。しゃべっても結局、誤解されてわい曲されてしまう。とても悲しい。
やっぱりそのことをうまく説明できない。ああ、あたしって本当にバカだ。いつかこのことはきっちりと描き切ってみたいと思う。言葉で。小説であるかもしれないし、ノンフィクションであるかもしれないけど、私にとってのインターネットを物語化して語りたいと思う。*2
ワシもね、自分の思ったことを好きなように文章にできて楽しいよ。それを読んでもらって、「面白い」とか「考えさせられた」とか言ってもらえてうれしいよ。はてブのちょっとしたコメントでニヤニヤさせられたり、痛いとこ突かれたり、クネクネしちゃうよ。調子が悪いときはこの気持ちを忘れそうになるけど、二人のはしごとかのノビノビとした文章読むと、元気が蘇ってくるよ。
なんつーか、インターネットとお前らには本当に感謝だよ。

GIGAZINEよ、お前それで楽しいのか?

もう気がついていると思うが、この文章はGIGAZINEに向けて書いている。いつからかTERRAZINEからのトラックバックは拒否設定になっているようだけどな。
そりゃー会社組織で仕事でやってるわけだから、PV稼がなきゃならんのはわかる。興味もないコンビニ菓子やジャンクフードの記事書いて、タイアップしようって構想も悪くない。
でもな、お前、本当にそれで楽しいのか? 小学1年から新聞読んでるようなヤツが、あんなヌルイ記事垂れ流すような商売やってて満足できるのか?。お前さ「記事を書くのは好きじゃない」とか言い放ちやがって、そんな態度で書いた文章で人は集められても、心を動かすことができると思ってんのか? 集客についてはもう成功したと思っていいだろ。これからは量じゃなくて質が求められるはずだ。読者はお前が思ってるほどバカじゃないぞ? あの程度でごまかしきれないことはお前だってわかってるはずだ。お前はバカ読者を消費しているつもりになっているのかもしれないけど、おまえ自身も同じように消費されてるんだよ。
べにぢょも言ってるけど、はてブホッテントリにどれだけの価値がある? 朝昼晩深夜早朝、今日明日明後日と、シコシコアクセス稼ぐことになんの意味がある? お前はそれを勲章だと思ってるかもしれないけど、たとえば明日GIGAZINEが閉鎖しても、「残念です」って言ってもらえるのは1ヶ月もねーぞ。なぜなら今のお前の代わりなんて誰でもできるからな。
それとも何か? GIGAZINEは社員にやらせて自分はまた好きなようにやろうって腹か? それなら理解できなくはないが、それにしたってこれからもGIGAZINEって名前でやっていくつもりなら、お前自身の人間の質と信用を積み重ねなきゃだめだろ。違うか?

あー、すっきりした

GIGAZINEにばかり話したけど、お前らだって同じだぞ? インターネットに入ってきたばかりの頃「メッチャ面白い!」って思っただろ? 初めてネットで文章書いたとき「メッチャ楽しい!」って思っただろ? 初めてレスもらったとき「メッチャうれしい!」って思っただろ?
世の中はカネで動いてるけど、ワシらの居る「ここ」はさ「うれしい ! たのしい ! 大好き !」で動いててほしいだろ? ってオチがドリカムかよ!(笑)

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*1:といっても現金ではなくライブドアポイント

*2:ずーーーーーーーーーっと彼女を追いかけているのは、この文章を待っているからだ。