新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

「とが きくよ」なるブログ、あるいはその人間性を検証する

リファラからようやく発見した。
とが きくよ - ユニバーサルデザインにする為の工夫。 障害者の視線から、身近な小物から住環境空間、人の心までユニバーサルデザインを提唱。 本当は、障害者も健常者もない世界がユニバーサルデザイン。
もちろんカタカナでも検索したのだがヒットしなかった。企業のトップとして自分の名前の表記をコロコロと変えるメリットは無いと思ったので、ひらがなまでは試さなかった。Google「link:http://blog.livedoor.jp/toganana/に該当するページが見つかりませんでした。」と言っているので、完全に孤立した「独り語り日記」と言えるだろう。
トガキクヨ・ドットコムからのリンクはないようだし、トガキクヨ・ドットコム代表の栂紀久代さんと同一人物であるかはわからないが、そうであるとの前提でこの文章を書き進めることにする。また、彼女が患っているとする「脳脊髄液減少症」には「慢性的な頭痛、頚部痛、めまい、嘔気、視力障害、倦怠、集中力・思考力・記憶力低下」などの症状が現れるそうだが、思考力・記憶力については正常であるとの前提で話を進める。都合が悪いことだけ「記憶がない」と言われては話にならないからだ。


弱者を切り捨てるようなブログまで出ています。このように、被害者になると、他のところでも被害者になる。言葉の暴力では無いだろうか? 人の心を傷つけて、そんなに面白いのだろうか?このようなブログを入れるのなら、身元を明らかにして入れるべきだろう。こんな卑怯なブログもある。
匿名(とも言えないが)であることが「卑怯」なのだそうだ。実にありがちな「内容ではなく、匿名がどうとか文体がどうとかで切り返す」パターンに当てはまるわけだが、まあよい。「卑怯」であることを認めよう。だが、この文章で書くことに一切の嘘偽りがない事を誓う。もしそれがあったら指摘してもらいたい。非があれば訂正し謝罪する。それでなお卑怯と言うのであれば、その旨述べるが良いだろう。説得力ある指摘や反論を期待する。
あらかじめ断っておくが、この文章は「栂紀久代」という「ユニバーサルデザイナー」を名乗る女性個人のことを書いている。間違っても「障害者全般」の事だとは思わないで欲しい。

俺は、「被害者意識が強い障害者(個人)が、障害者(全体)を差別したい人たちに付け入る隙を与えている」というのが正確な表現だと思うが。
これから話すことは、全く持ってid:tkmisawaさんの言うとおりの事になる。

事故当日の記述を検証

問題の事故については5月13日に記述がある。


3月に国際シンボルマークの件で、心斎橋のTOTOのショールームで間違いがあり注意しました。その時に、入口にある階段にスロープを置き対応してくれましたが、それが急だったので、危ないからと注意をしました。必ず一人は転倒防止のために後ろにつくようにと言っておきました。
「貴重なご意見ありがとうございました。今後の参考にします。」と言っていたので信じておりました。今日も、行った際にスロープを用意してくれ、一人がスロープを下りてきたので後ろについてくれたものと思って「どうぞ」と言う案内に私はスロープを上がり始めたとたん、後ろにひっくり返りました。後頭部を強打。ゴーンという鈍い音は、聞きました。体に強い痺れが走り、しばらくは、気を失っていたようです。脳震とうを起こしたようです。気がついた時には、車いすに座っておりました。
頭が支えられないようになっており、首はグラグラ、体中に力が入らず目は見えてはいるけれど焦点が全く合わない。頭は割れそうに痛く、どうにもならない。急に腹が立ってきて、「後ろに一人ついて、一体何をしていたのか?転倒するのを眺めていたのか!責任者出て来い!救急車!」と怒鳴りました。横から私を知っている方から声がかかりましたが、顔は全く見える状態ではなく、姿は解るけれども顔までは見えません。「救急車は呼んでいます」と言う事だった。
救急車が来た時には、説明しないと解らないので、必死で説明をした。主人は、のん気な人で、点滴のみ対応している病院を指定している。
これから読み取れる事を整理しよう

  • 彼女が注意したのは事故が起きた「2ヶ月前」
  • 「言っておきました」との事なので、注意は「口頭」でなされ、「書面等ではない」
  • それが理解され徹底されているものと彼女は「信じておりました」
  • 一人がスロープを下りてきたので、後ろに「ついてくれたものと思った」が付いたことを「確認していない」
  • その場でもう一度「後ろに付くよう」に「注意はしていない」。前述の通り注意したのは「2ヶ月前」
  • 注意した人物と「ついてくれたと思った」人物は「同一人物ではない」(そうであるならば、それを明記するだろう)
  • 車いすを操作したのはTOTOの職員ではなく、「栂紀久代本人」
  • ご主人はのんきな人だが、「そばにはいた」

はあぁ?
もう馬鹿馬鹿しくて言及する気も失せたよ。でも一言だけ言っておこう。

責任者出て来い!

その場の責任者は誰がどう見ても「栂紀久代自身」だ。障害者の行動責任が障害者本人には無いというならば別だが。この一点だけで構わない。「何を根拠にTOTO側に責任があると主張しているのか」それだけでいいので教えてもらいたい。

詐病

彼女の持病「脳脊髄液減少症」は「詐病」と疑われることがあるそうだ。


脳脊髄液減少症詐病と疑われている事は、最近のテレビや新聞の報道で徐々に明らかになってきた。しかし、まだそれが詐病として処理されている。
茨城の友人は、とうとう起きる事すら出来なくなっている。主治医の診断書を付けて、その意見書まで付けて提出しているのに、労災とは認められなかった。自分のかけている保険会社から、詐病で訴えられている。
私が、救急車で搬送されても点滴をしてくれる病院は1件だけ。その病院以外はおそらく無理だろう。受け入れ病院がないばかりか、行くと帰ってくれと追い返される。
詐病」とは読んで字のごとく「病気だと嘘をつく」ことだ。そのことによって治療費や見舞金、保険金をだまし取る事などが目的とされている。

すみません

もうこれ以上書くことができません。どんなに冷静に中立的に文章を書こうとしても、無理です。もはや「○○ばいいのに」という言葉しか頭に浮かびません。
私は聖人君子ではありません。常々言っているように「儲けたものが勝ち」と思ってます。だから彼女がTOTOのような大企業からカネを巻き上げてやろうと、必死で頑張っていることは、素晴らしいことだと思います。
ただ、そのことが「障害者全体」にとってマイナスであることは言うまでもないでしょう。このシリーズの最初のエントリーに書いたとおり、「障害者自身が障害者の首を絞めている」のです。繰り返しますが、勘違いして欲しくないのは、この文章で書いているのは「栂紀久代」という一個人の人間性であり、障害者全般の事ではないということです。しかし、彼女は「障害者」であることを看板にしています。全ての責任が彼女にあっても、どうしてもそう見てしまうのです。

最後に(蛇足)

私は当初から彼女がこのような人間であろう事を想像していました。「見抜いていた」と言ってもいいかと思います。「人を一面から判断してはいけない」確かにその通りです。しかし人生において、わずかな情報から相手の本質を見抜かねばならない状況は往々にしてあります。今回私が彼女の人間性を見抜くのに決定的だったのは、製品開発テストでのビデオ撮影を「モルモット」と表現したことです。UD製品を開発したいと思っているなら、何でもないことに彼女は噛みつきました。車いす転倒にも何も関係ありません。関係ないことを無理矢理こじつけて文句を言い散らす「クレーマー」の典型的パターンだからです。
itochanさんが『「障害者を無料で集めてモルモット扱いする」=「うちの仕事が減る」だから、なおさら強く言ったのかも。』とコメントしてくれましたが、まさにそうでした。


障害者は、霞を食べて生きているように思われている。アイディアは、盗み放題である。旅館も、私の言葉に「頂きます。」の一言だ。当然、そのお返しは有ってしかるべき。
TOTOは「教えてください」と頭を下げながら、それを活かしていなかった。安全面に於いて考えても、誰も気がつかなかったことをアドバイスしても無料である。私の仕事が全て、ボランティアだと思っている。そのお返しは???
健常者の場合だと、仕事は仕事として成立している。きっと私が立って歩いていると、本業の福祉コンサルタントとして聞くであろうが、障害者になると無料。福祉コンサルタントの仕事は、全て無料になってしまう。
言わんとすることはわかります、だがこれは健常者でも同じでしょう。きちんと契約を結ばずにアドバイスしても、報酬が発生することはありません。彼女がすべきは、こんな誰も読まないブログでぶーたれるのではなく、TOTOコンサルタント契約を結ぶことでしょう。

福祉コンサルタントの名刺を出しているのに、「ご指導よろしくお願いします。」と言うTOTOの社員。その通りに指導すると、指導料を踏み倒された。
彼女の脳内では「福祉コンサルタントの名刺」を出すことが指導契約になるようです。また少し外れますが、彼女のこのエントリーのタイトル「休息」や「昨日の続き」などは、内容が全くわからず、人に読んでもらうに親切な付け方ではありません。「UD」以前の問題でしょう。
このようにわずかな文章や表現の仕方からでも、想像力を働かせれば相手の人間性を慮ることはできます。逆に私の文章を読んで「弱者切り捨て」と「脊髄反射」した人は、今回は想像力が足りなかったと反省し、読解力を磨いてください。
それにしても、ここまでの「大物」だとは思いませんでした。何もかも馬鹿馬鹿しくなるほどの破壊力です。なんというか、本当に哀れに思うのです。
この「障害者シリーズ」はあと3本ほど続けるつもりでしたが、正直疲れてしまいました。これで終わりにしたいと思います。ごめんなさい。すみません。コメント等で後フォローしていただけるとありがたいです。

おまけ:栂紀久代の人間性がにじみ出る文章の数々


介助犬は、障がい者の一部だ。ホテルでも、レストランに入ろうとすると、「他のお客様に聞いてから」と回答しているところもある。この時点で処罰するべきだ。他の客が拒否しても、「介助犬法により、入店は拒否できません。」と言うべきだろう。
ホテルのバリアフリー化を、もっと指導すべきでは無いだろうか?どの部屋にも、トイレやお風呂にお洒落な手すりが有っても良いではないか?健常者でも、障がい者でも便利なはず。TOTOの介護用の手すりでは、付ける気にもならないだろう。そうでは無い手すりが有る。近々トガキクヨ・ドットコムで掲載予定。

障害者のものを提供しているつもりかもしれないが、障害者を口実にお金を稼ぎ出しているだけの企業ではないのか? 障害者のものを作って提供しているのであれば、もっと障害とは何かを教育すべきである。健常者が障害者と同じ経験を出来るのであれば、実際に体験してみればよい。
障害者のためを思って行動しているつもりかもしれないが、障害者を口実にお金を稼ぎ出しているだけの人物ではないのか? 障害者のものを作って提供しているのであれば、もっと障害とは何かを自覚すべきである。健常者が障害者と同じでないのがわかっているならば、危険な場所では自分自身で安全を確認しなければ、健常者にはそれがうまくできないことくらい理解すべきである。

車椅子使用者は、健常者がいくら誘導しようと思っても、健常者自身段差の位置も、スロープの位置もご存じない方が多いからです。普段、そんなことを気にして歩いているでしょうか?だから私は道を聞く時には、宅配業者の方に聞きます。普段台車を使っているから、スロープの位置も良くご存知です。
車椅子を介助した事ない方に、介助されると怖くて仕方ありません。平気で2㎝の段差をまっすぐに押すからです。
2㎝も有ると、車椅子では、登れません。それを押して段差にぶつかるのです。ぶつかると、その衝撃で私たちは車椅子から放り出されます。健常者のように、足で踏ん張る事ができたなら、車椅子など使っていません。そのことにも気がついていないのです。
健常者が皆、宅配屋のように毎日台車を使っているわけではありません。UDショールームの職員も毎日障害者と接しているわけではありません。障害者も健常者も同じ人間です。間違いもすれば、忘れもします。それを「UDショールームなら当然」、「車いすの扱い方もわからないの?」と彼女はスタッフを見下しています。スタッフは障害者のことをわかっていないかもしれませんが、健常者のことを全く理解しようとしていないのが彼女自身でしょう。
また重箱の隅ですが、彼女はcm(センチメートル)を機種依存文字を使って表記しています。ユニバーサルWebデザインの基本中の基本である機種依存文字を使わないということすら、彼女はできていません。彼女にとってのUDとは車いすの人間にとってのデザインであって、誰もが使いやすいという本当のUDではありません。