メンヘラーの言い訳が燃えないゴミである10の理由
甘えは鬱ではない
「鬱は甘えているわけではない」それはそうだろう。しかし↓
鬱に甘えるのは甘えである
鬱だからって拗ねたりグダグダと言い訳ばかりするのは甘え以外の何者でもない。病気だからと言って甘えが許されると思っていることが甘えなのだ。
甘えは最高の逃げ込み環境である
「鬱だから」と言えば誰からも責められない。安全地帯だ。だって病人なんだもん。いたわってよ。
甘えるには良い言い訳がたくさんある
「病気だから」「真面目すぎるから」「責任感が強すぎるから」「今は休息の時なの」「充電中」
甘えれば人に同情される
「純粋な人だから」「繊細な人だから」
メンへラーには被害者意識がある
「甘えるな」と叱咤して反発するのは、図星である自覚があるからだ。だがそれが反省に至ることはなく、「アタシはこんなに頑張っているのに、どうしてそんなこと言われなきゃならないの?!」と思う。それこそが甘えであることに気がつかない。頑張ったからほめられるのは子供まで。頑張って達成して初めて認められるのが大人だ。
メンヘラーはニヒルである
「幸せなやつにはわからないんだよ」「体育会系の想像力の乏しさには感心するね」「正論ごもっとも」「ハイハイ、ポジティブポジティブ」
メンへラーはミクシィと相性がいい
馴れ合い、オナニー日記、疑似友情。それが何の疑問もたれず全て肯定される。これ以上の環境はないわな。
メンヘラーにはcultureがある
自分だけの孤高の世界。理解されないし、理解されようとも思わない。近づけば「アタシの領域に踏み込まないで!」離れれば「アタシにかまってよ!」。だから腫れ物に触るように病人扱いするのが一番なんだ。
言い訳は甘えである
この当たり前が通用しない。だってアタシはメンヘラーなんだもん。
結論:メンへラーとはモラトリアムである
結局、彼ら彼女らは心理的に大人になりきれてないのだ。
誰もが万能じゃない。いや、欠点だらけだ。それでも前に進むために、ダメな部分を見つめ、鍛え直し、それでもダメなときは泣く泣く切り捨てて生きている。そうしないと背負うものが重すぎて潰れてしまうのだ。そこに甘えは許されない。大人になるってのはそういうことだろう。
そう、メンへラーは甘えてはいない。諦められないのだ。頑張っているから。捨てられないのだ。これまで頑張ったことを。死にたいと言いつつ、自分の中の殺してしまわねばならない部分を殺せないのだ。それを甘えって言っているんだよ。
あー、クソ。また「盲導犬コラム」にしてしまった。どうしたんだワシは。それでも「燃えないゴミ」の意味すら考えないんだろうな。こうなったら最後まで盲導犬に徹するか。
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- あなたが鬱になったときは、せいぜい甘えないで頑張ってください。
- どう見てもキチガイです。本当にありがとうございました。(キチガイの所には「おめでたい」や「天才」など適宜当てはめること)
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