新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

普通の子、変わっている子

欲しいモノは全てブラウン管の中

と歌ったのは浜田省吾の『マネー』。この歌の主人公は貧乏だから欲しいモノを手に入れることが出来なかった。しかし今は裕福になった。カネで買えるものならなんだって手に入る。でも夢とか希望とかはブラウン管の向こうに自ら追いやってしまっている。

空想好きの変わり者 アン=シャーリー


赤毛のアン』は空想好きな女の子の物語。孤児院からマシューとマリラの兄妹に引き取られたアンは、事あるごとに想像に思いをめぐらせ、現実主義者のマリラに注意される。マシューはそんなアンをいとおしく思い、マリラも次第にそれをアンの個性として受け入れる。友人達もアンの想像力に惹かれ「物語クラブ」を結成、多感な少女たちの思いを文章でつづる。トップの成績で高校に進学したアンは猛勉強を続け、国文学でトップの成績をおさめ、大学への進学権と奨学金を得るのである。
アンは個性的な女の子。言葉を代えれば「変わり者」だ。理解されないことも少なくなかった。それでも持ち前の根性、そして家族や友人の優しさ、友情、愛に励まされ、アンは強く、そして美しく成長するのである。高畑勲宮崎駿のコンビによるこの作品。未見の方は是非ご覧になるといい。特に娘を持つ方は一緒に見て欲しい。

アンを嘲笑する「普通」の人々


ブラウン管の中にはアンのような変わった女の子がたくさんいる。そして誰もが魔法少女を夢見たり、ヒーローになりたいと考えたことがあるはずだ。だのに、現実世界にアンが現れると、それを拒絶するのだ。「あの子は変わっている」遠巻きにクスクスと嘲笑して、自分が普通であることに安心する。お姫様になることを諦めた自分を、「変人」を馬鹿にすることで慰めている。そういう人はブラウン管の中でしか夢を見ることが出来ない。一歩足を踏み出せば、そこには夢のあるおもしろい世界が広がっているのに。そして自分にも「変わった」ところがあるはずなのに、それを認めようとせず、隠そうとしている。それこそが「個性」であるのに。

親ってのは見守ることしかできない


とはいえ、個性というのはにじみ出るものだから、それをどうこうするって事も出来ない。出来ることは見守ることぐらいだろう。親ってのはそういうものだろう。自分の子供が変わっているからといって、むやみにそれを押さえつけるのではなく、それを長所として認め、のばしてやる。「子供の可能性がどうこう」とか言って、幼い頃からたくさんの習い事をさせたりするのが一部で流行っているようだが、それは勘違いだろう。自分の子供の頃を思い出せばわかるはずだ。