新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

新聞と魚屋


俺の認識では、コミケで本売ってたり、ギャルゲー作っている人のほうが、小泉総理につきまとって、その言動をオモシロおかしく記事にしている人よりえらいです。だって、後者のマスコミの人って、何も創造してませんから。
創造の定義を「新しいものを自分の考えや技術などで初めてつくりだすこと」とするならば、コミケやギャルゲーの人って創造しているのだろうか。私はコミケに行ったことがないし、ギャルゲーと呼ばれるゲームがどのようなものかもよくわかっていない。その上で私が持つそれらのイメージは、すでにある人気キャラの性的なマンガを書いたり、10年前から進歩していないシステム上で低予算でゲームを作り、それを「初回限定なにがし」という売り方をする、というものだ。「いや、そんなことはない。すばらしいコミケ本や、優れたギャルゲーもある」と言われるかもしれない。だが、それは1割に満たず、残りの9割は私の想像とそれほど遠くないはずだ。
マスコミも同じだろう。ほとんどの記者がプロ意識を持って報道していると思いたい。だが実際は少なくない数の「訓練を積んだプロのジャーナリスト」が、自分の足で取材せず、ググりもせず、ただ人の話を電話越しに聞いて、大げさに記事を書いている。それが「訓練の賜」かどうかはしらないが。
今回の地震で、福岡市の埋め立て地である百道(ももち)では、液状化現象で地表に泥水がしみ出していた。百道に社屋があるRKB毎日放送が中継をしていたが、その記者は「液状化現象で地面にわき出した海水が、濁流となって流れています」という風な表現をした。「濁流」と聞いて、あなたはどのような印象を持たれただろうか。実際は水深1cmにも満たない泥水が、ちょろちょろと側溝へ流れているだけだった。テレビだから映像を見れば、それは誇大表現だとすぐにわかる。これが新聞だったらどうだろう。私なら百道は泥水で浸かり、福岡ドームでの開幕戦は大丈夫だろうか。と想像するだろう。マスメディアは、より大げさに、よりインパクトがあるネタを「ねつ造」する事ばかりを訓練しているとしか思えない。
私はマスコミはダメだ、と言っているのではない。コミケやギャルゲーの人や、そこら辺の魚屋や八百屋と同じだと言っているのだ。目が死んでいる鯖を、「スゴい、大きい、脂がのって、旬の、産地直送の、佐賀関の、首折れの、メチャクチャ旨い」とか形容詞をつけまくっても、わかっている客にはすぐにバレる。バレないからといって、そんな商売を続けていれば、いつかもっとちゃんとした商売をする同業者に、あるいはスーパーにやられてしまうだろう。
今の新聞は、その魚屋の状態だ。魚しか売り物がないのに、その魚は雑魚ばかりで、賞味期限も切れている。魚も肉も野菜も扱うインターネットというスーパーに殺されようとしている。しかもそのスーパーは従業員がメチャクチャ多くて、特定の分野に高度な知識や経験を持ったものがたくさんいる。しかも無給なのだ。店舗も24時間年中無休。月曜日は休みです、なんてことはないのだ。
その魚屋が生き残るには、スーパーの一員となって、より専門分野に特化した商売をするしかないだろう。お客はたくさん来ている? それは魚を買いに来てるんじゃなくて、魚を包んでいる「チラシ」が目当てなんだよ。薄々わかってるんだろ?