新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

線路に落ちた酔客を助けようとして電車にはねられた二人は「英雄」なのか?

「「なのか?」で始まる文章のオチは「ではない」」の法則は皆さんご存じかと思う。今から書くのだが、この文章もご多分にもれず、そうなりそうだ。おそらく「お前は当人達の前でも同じ事が言えるのか?」という文章になると思うので、不快を予想される方は読まないことをお勧めする。

経緯をまとめると、坂本成晃(せいこう)さん(37)が仕事帰りの同僚一人と一緒に、ホームの高田馬場寄りでコップ入りの日本酒を飲み、あやまって線路に転落。それを助けようと関根史郎さん(47)と李秀賢(イスヒョン)さん(26)が、線路に降りたが助けることはできず、三人全員が電車にはねられ死亡した、ということだ。
これを各方面が「勇気ある行動」「善意の死」と称え、福田官房長官は私的に通夜に参列し、森喜朗首相は「人命を重んずる真に勇気ある行為」という書状を贈った。
あなた方は、何を言っているのだ?
線路に落ちた乗客を救うのは、駅員の仕事である。一般乗客は線路に降りてはいけないのだ。たとえ避難場所がなかったとしても、駅を一番よく知る駅員ならば何か助ける手段を思いついたかもしれない。彼らがやるべきはとっさに線路に降りることではなく、駅員に知らせることだったのだ。それでは間に合わないと判断したならば、誰が降りても間に合わない。最初に落ちた者を見捨てるべきだったのだ。一人なら避けられる場所があったかもしれないのに、三人では身動きも取れない。その判断をできずに、「とっさに」降りてしまったのであれば、それは「勇気」ではなく「無謀」なだけだ。
彼らは自分の身分もわきまえず、駅員に無断で自らの無謀な判断で線路に降り、男性を助けることもできず、無駄死にした。これが事実だ。この出来事にこれ以上もこれ以下もない。これを「勇気」と称えるならば、目の前で人が落ちたら、迷わず線路に飛び降りろとでもいうのか? 目の前で人が溺れていたら、たとえ自分が泳げなくても飛び込めとでもいうのか?
朝日新聞天声人語」1月28日にいたっては、

きのう、現場のホームに立ってみた。折からの雪で、ホームの端はひときわ滑りやすい。線路に落ちかねない。ホームの幅も広くはない。右、左と、つぎつぎ電車が入ってきて、出て行く。あらためて怖かった。
この駅だけが特殊なのではない。全国の駅の、これが日常の風景である。利用者はつねに危険と隣り合わせている。実際、転落事故は後を絶たない。ホームの下に待避できる余地を設けるのも大切。さらに、ホームに転落を防ぐさくを作るといった方法も真剣に考えるべきだ。

などと、とんでもないことを平気で述べている。
山手線の駅のホームをどうやって広げろと言うのか? 本数を減らせとでも? ホームの下に待避できる余地を設ける? ホームに転落を防ぐさくを作る?
誰がカネを払うのだ? 年間何人が線路に転落し、何人が死んでいるのか知らないが、日本にいくつ駅があるのかわかってこんな事を言っているのか? 自ら述べているとおり、利用者はつねに危険と隣り合わせているのだ。いつ誰に突き落とされるかわからない、数メートル以上の落差がある線路・階段、時速数十キロ以上で入ってくる、急には絶対に止まれない電車。スリ・チカン・頭のおかしい通り魔。駅は安心して酒が飲める自分の部屋ではない。自らの身は自らが守るしかないのだ。

「死んでみんなに感動を与えたのだから、死は決して無駄ではなかったと思い、それが唯一の救いです」

感動なんてものは、ひと月もすれば忘れ去られる。その場所でどんなことがあったことも忘れ、その上を何万・何十万の人々が通り過ぎる。そしてまた「あってはならない」予定済の事故が起きる。それの繰り返し。
事故で死ぬ乗客の数など、コンビニで万引きされる商品と同じだ。計算済なのだ。折り込み済なのだ。彼らはその中の「1」という数字を「1+2」にしてしまったに過ぎないのだ。

「相手も救えず、これでは無駄死にだよ」(関根さんの母(76))

この言葉が全てを語っている。
「英雄の死」をマスコミや政治が利用することもお約束だ。せいぜい彼らの死を「無駄」にしないよう、骨の髄までしゃぶればよい。

(1/30 02:00追記)電車事故:非常停止ボタンの周知を徹底 JR東日本

非常停止ボタンについてパンフレットや構内放送などで周知をはかることや、転落検知マットの設置など再発防止策についても検討を始めた。
JR東日本によると、管内のホームからの転落や乗客と列車の接触事故は、1997年度48件▽98年度35件▽99年度57件▽今年度(4〜12月)32件。このうち6〜7割が酔った客による事故だという。転落を検知して電車を自動的に停車させる転落検知マットは、管内26駅にしか設置されていない。
国土交通省によると、全国のホームからの転落事故は、96年度48件▽97年度54件▽98年度55件▽99年度47件。今年度上期(4〜9月)は30件発生し、17人が死亡、13人がけがをしている。 
ホームドアやさくの設置は(1)客がはさまれる恐れがある(2)ホームのスペースが狭くなる(3)停止位置がずれた場合混乱する――などの理由で、消極的な姿勢を示した。

「事故回避は困難だった」JR東日本が会見

ホームには、非常停止ボタンが六か所に設置され、乗客や駅員が押すと非常ブレーキが自動的に働く仕組みだが、今回、ボタンを押した人はいなかった。同社は「押されていても事故は防げなかった」としている。
同社管内のホームで起きる転落などの事故では、毎年、六〜七割の人が酒酔い状態。今回、最初に転落した男性も駅構内の売店で買ったカップ酒を飲んでいたらしい。須田常務は「構内での販売、飲酒を禁止することはサービスの低下を招き、難しい」と説明した。

「どうやっても助けられなかった」ということのようです。全国で年間40人足らずの死亡事故では、JRは動かないでしょう。あうさんの言う、「電車のホームはガケと同じ。落ちたら死ぬもの。」という認識が一番正しいようです。
「非常停止ボタン」については「いたずら」の懸念がついて回ります。だからこそ今まで積極的に周知しなかったのでしょう。

国土交通相から「感謝状」 警察庁長官から「警察協力章」

小野邦久・国土交通次官は同日の定例会見で、「大変勇気ある行動に感銘を受けた」と話したが、ホームからの転落防止策については「鉄道事業者に徹底をお願いするしかない」などと述べるにとどまった。
また、警察庁は29日午後、李さんと関根さんのそれぞれの遺族に、警察庁長官からの「警察協力章」を渡した。「自らの危険を顧みず人命救助活動に当たって殉難した」と認めた。警察職員以外の人に贈られる表彰の中では最高となる。

感謝? 誰が何を感謝しているのだ? 「無駄死にしてくれてありがとう」ってか? 殉難? 日本語わかってしゃべってんのか?

「殉難」:国家・宗教や公共の利益のために一身を犠牲にすること。

彼らは国のために死んだのか? だったら感謝状も出すわなぁ。それともこの場合の公共の利益って、一体なんだい?

親友が線路に落ちた!高校生が救出…小田原

二人は一緒に通学している親友同士で、この日は男子生徒が電車内で「気分が悪い」と言い、同駅で一緒に下車した。生徒はフラフラと歩いてホームから一・一メートル下の線路に転落し、動かなくなった。
山口さんは線路に下り、男子生徒の上半身を担ぎ上げると、ホーム上にいた女性が引き上げてくれた。この間、ホームには電車が入ってくることを知らせる放送が流れていた。
山口さんは「とにかく助けたいと思った。線路に降りて助け上げるまで、ドキドキした」と話している。同校では、山口さんを校内表彰するという。

「あの事故を見てボクも勇気を出した」とか言わないでくれて、本当によかったよ。

(1/30 17:00 追記)「酔っ払い天国」(田口ランディ)

水商売が長かったから、数限りない酔っ払いを見てきた。東京で悪いことをしようと思ったら酔っ払うのが一番てっとり早いと思った。酔っているというだけでかなりのことが容認される。若くて恨みがましかった頃、私も酔っ払っていろんな事をした。だって苦しいンだもんアタシ、って甘えてた。酔って騒ぐと、みんな「ああ、きっと辛いんだな」って勝手に同情してくれた。なんて母性的な社会なんだろう。辛い人は包み込んで許して甘やかしてくれる。
新大久保の駅で、三人の方が亡くなった。線路に落ちた人を助けようとしたお二人の死が報道される。今朝、その追悼式の様子がテレビで流れていた。たくさんの方が弔問に訪れ、その勇気を賛えていた。
線路に落ちた人の報道はなかった。かなり泥酔していたらしい。自分の身に何が起きたのかわかっていなかったかもしれない。もしかしたら、自分が死んだということすら、気がついていないかもしれない。どうか成仏なさいますようにと祈ってしまった。
成人式で騒いだ青年たちに罰金30万円。彼らは社会の一員として認められ、そして自分の行為に対して自ら責任を取るために罰せられた。
酒は成人が自分の意志で飲むものだ。公共の場で泥酔している酔っ払いは、この国では社会の一員として認められていないらしい。責任すら問われない。一人前に扱われないから、よけいにグレちゃうのかもしれない。

(1/31 17:30 追記)新大久保で10年前転落救助の男性が事故防止策訴え

今回と同じく、山手線内回りのホームから乗客の男性が線路上に落ち、助けようとホームから飛び降りた中年男性の「だれか手を貸して」との叫び声に、松居さんは「夢中で飛び降りた」という。しかし、大人の胸の高さほどのホーム上まで人を担ぎ上げるのは難しく、間もなく山手線の電車が接近。とっさに、男性とともに山手線と並行して走る埼京線の線路とのわずかな空間に避難した。近付いてきた運転士に手を振って合図したが、電車が停止したのは四、五十メートル通り過ぎてからだった。

事実:線路に飛び降りても担ぎ上げる事はまず不可能。
推測:助けようとした人すら、よじ登れない。
結論:二人の行動は無謀な自殺行為。
疑問:自殺行為を称える人間の精神構造。
主張:本当の「勇気」とは「飛び降りるな! 巻き添えになる!」と叫ぶこと。
蛇足:会社員松居秀好さん(35)の訴えは「自分も英雄だった」との自己顕示。

(2/01 07:00 追記)加藤紘一からのメッセージ「JR新大久保駅事故」

何でも政治や行政のせいにするのではなく、個人が自分たちでできることは自分たちでやることから改革を始めよう、政治や行政を通じてではなく、個人がそれぞれの責任を果たしながら連帯する社会を築いていこうというのが私が唱える保守革命です。今度の事故は大惨事になってしまいましたが、多くの人々の心に消えがたい潤いをもたらしてくれたことは間違いありません。二人の行動を悼む多くのメッセージが寄せられたという報道を読むと、この国も決して捨てたものではない、きちんとしたビジョンが出れば共感の輪は広がり、改革の大きなうねりが生まれるという確信が沸いてきます。

私と加藤氏の考えは、自己責任を軽んじ、制度のせいにするなという点では合致、無駄死にを美談にするなという点では正反対のようです。
ますます、会って話したくなったよ。